「ちゃん!」 「わっ!お、沖田さん・・・!」 ぱぱんっと彼女の部屋の障子を開ければ少し怯えて返事を返す。びっくりしたのか、そのままの格好で止まっている。 しかしその後に驚きを吸収した彼女はゆっくりと筆を置いた。しかも さっきまでおどおどとしていたくせに、今では眉はつりあがっている。・・・おもしろい。 「あの、沖田さん。入る時は断ってからにしてください」 「そんな他人みたいな事言わなくても」 「沖田さんと身内になった覚えはありませんけど」 「相変わらず冷たいなぁ。心まで水になっちゃったんじゃないの?」 「ご心配なく。ちゃんと人のままですよ」 「そう、」 良かったね、と猫のような双眸を細くさせて笑う。こういう時の沖田さんは笑ってんだか、怒ってんだか分からない、 さっぱりだ。もしさっき言ったように身内になればその感情の機敏にも気づけるのだろうか。下ろし た手を膝にやって考える。・・・いや、多分もっと長く一緒にいてもこの人の事は一生分からないままだろうなぁ、と思う。 かなり謎だ。 「どうしたの、なにか考え事?」 「え…?ああ、たいしたことないですよ」 笑ってそう返せば眉を寄せて不機嫌そうな顔。一体何が悪かったのか…自分はちゃんと笑顔で返したつもりだったけれど。 沖田さんは時たま、変なタイミングで不機嫌になる。というか・・・拗ねているような態度を取ることがある。 「でもちゃんも大変だよねぇ。よりによって水神なんてさ」 「そうですね。まぁ、役立たずよりはずっと良いですよ」 そうなのだ。前ここに滞在していた時は怒りの鉄槌を下し、荒れ狂う稲妻を従える恐ろしい神さまだと市井の人に は伝わっていたらしいのだが(だからあんなにお供えが半端なく真剣だったのかと後で気が付いたが)、 雷の力がなくなった今、怖がる事はないと判断されたらしかった。 今やわたしは、癒しの水の力で畑や田に潤いを与え、清らかなる水神、なのだそうだ。誰だそれは。 と初めて聞いた時はぽかんとしてしまった。農作業が上手く行っているのは、農家の人が頑張ったからで、 わたしの成果ではない。わたしがやった事なんてここではなにもないのだ。 ・・・悲しくなってきたが、わたしは今、わたしのやれる事をやればいいと思う、うん、そうだ。 ぐっと顔を上げて沖田さんに向き直る。 「と、とにかく!・・・沖田さん、わたしになにかあって来たんですか?」 「・・・そう、ちょっと出掛けようかと思って声を掛けに」 「そうなんですか。では、行ってらっしゃい」 「にべもない答えをどうもありがとう。・・・ちゃん・・・あー、もー・・・、」 「なんです?早く行ってこないと日が落ちちゃいますよ」 「・・・・」 「・・・・沖田さん?」 首を傾げて彼を呼ぶけれど、脱力といった感じで下を向いたままでこちらを見ようとしない。 わたしにしては気を遣って急かして見たのだけれど、あ、あれか。余計な事言われなくてももう知ってるっつーの、 的な。それだったら余計なお世話だったな。謝った方がいいのかな。もー、良く分からないなぁ、どうする事が 最善な策なのか分からない。どうすればいいのか分からない。 どうする事も出来なくて、そのまま机の方に目を落としたり、部屋をきょろきょろと眺めてみたり、いつのまにか 冷えてしまったお茶を一口飲んだりして、沖田さんの出方を待つ。 背の高い人がぷるぷるしながら拳をにぎっているのがちょっと可愛い気がするなーと思っていると、 我慢できなくなったのだろうか、沖田さんの方から「あー、もう!」と苛立ったような声がもう一度聞こえてきた。 同時に顔を上げた沖田さんと沖田さんの様子を伺おうとして見上げたわたしの目が合う。わー、気まずーい。 「だから!察してよ、どんだけ鈍いの、ちゃんてば!」 「は?な、なに急に、そんな怒らないでくださいよ・・・!」 「いくら温厚な僕でも今のは怒ってもいいと思うんだけど」 「お、温厚・・・・」 「そこ注目するんだ・・・ふぅん、へぇ」 「え、えと、あ、つい!ついです!」 はははは、と乾いた笑いは非常に怖い。・・・恐ろしく怖い。 この人どうしよう・・・どうすれば機嫌直してくれるんだろう・・・、と思案を続ける頭だけれど、 もとより沖田さんの理解度はさっぱり完璧に0パーセント、分かる訳がなかった。 いつの間にか傍に寄っていた沖田さんからいきなり手が差し出された。 何気なく出された手。それはこの世界では取る事の出来なかった手。 手を出せと言う事だろうか。 しばし躊躇った後、わたしはその手を取った。ぐいっと引っ張る力は力強くて、その強さを実感出来る事にほっとする。 今は、触れてももう誰も傷つかない、この身体。嬉しい。無条件に触れる事が出来るというのがこんなにも 心休まる事だとは。拒絶しないこの世界に、人に・・・酷く安心する。 と、気持ちが緩んだのだろうか、するっと彼の手から零れ落ちる雫。 そうだ、拒絶されない世界の代わりにこれがあったんだった。でもこれくらいの事なら耐えられる。平気、全然辛くない。 でも正直今のタイミングで水になってしまった事はあまりよろしくはない。 まずっ…と思って受け身を取り、 ぎゅっと目をつむり衝撃を堪える・・・・・っ! その前に、腰をぎゅとされて引き寄せられた。 「ま…ったく、危ないなぁ、もう」 「す、すみません…」 「どうせまたろくでもない事を考えてたんでしょ」 「ろくでもないって・・・」 「注意力散漫、ちゃんは気を抜いたら水になっちゃうんだから」 「すみません…」 「まぁ、それも面白いんだけれど、ね」 謝ってばかりのわたしだ。心臓がどっどっどっと濁流の様に音を立てて行くのが分かる。 手元だけが水になってしまったので沖田さんの行動は正しいのだ。正しい…のだけれど。 わたしの腰をがっちりと支えている腕は揺るがない。 むっきむきの腕の永倉さんとかなら分かるけれど、沖田さんの腕は見た目はすらっとしているのに、力は強い。 「ありがとうござ・・・・ん?…ちょ、沖田さん?離してください」 「やだなぁ、遠慮なんてしなくて良いんだよ。ようやく触れ合いが出来たんだから」 その言葉の最中に沖田さんの腕はぎゅーっと腰どころか全身で抱きしめだした。見上げれば飄々と笑う彼の余裕めいた 目が見えて、わたしは沖田さんの腕の中でぎくっと身体を強張らせた。 ひぃ…これは…わたし遊ばれてるよね、からかわれてるよね? 前からそういう気がある感じはしてたけど、ビリビリするから直接的な事はしなかったのに…! も、もしかしてさっきなんか怒らせちゃった仕返しとか!? 逆に雷の力がなくなった事でわたしの方が危なくなった感じだ。思わず顔が引きつる。もうこれは恥ずかしいとかそういう 問題ではないのだ。なんだか本能で危険だと、わたしの脳が告げている。 だけれどその透き通るような色の目の中に本気の色をにじませているのも少しだけ分かってしまった。また 少し腕の力が強くなる。耳元に囁く様にして呟かれた声にからかいの色はない。 「・・・もうお願いだから無茶はしないでよね」 「だ、だい、大丈夫ですよ!もう無茶出来るような力とかないんですから」 「ふーん。なら良いけど」 「な、なんですか、その目」 「ん?別に、ちゃんが素直になってくれて嬉しくて」 「ふぅ・・・沖田さん、気色悪いですよ」 「ちゃん、君ね…なんか帰ってきてから、きつくなってない?雷の時よりきつくなってどうするのさ」 呆れた目線を寄越せば、たちまちにやにや笑いを引かせ、真面目な顔つきになる。 前はこのにやにや笑いにかなり怯えもしたものだけど、今となってはそれにも少し慣れたような・・・うん、いや、 未だに慣れないような・・・。 彼の態度は本気なのかそうではないかがわかりにくい上にいつも飄々としているから、苦手だ。 最初に敵意を見せられたのも彼だし、でも彼が誰よりも先に気が付いてくれた事もある。嬉しく感じた事も、 迷惑に感じた事も全部が全部繋がっていく喜びがある。 「それはそうとちゃん、今から暇だよね?」 「へ?いや、まだあの頼まれた書類が・・・」 「暇だよね?さっきみたいに僕を怒らせたい?」 「い、いやいやいや!そんなめっそうもないです」 「じゃあ、早く行こう」 ぐいっと沖田さんの胸を押して慌てて離れようとすると、つまらなそうな顔をした沖田さんだったけれど、 最初に話そうとした事を思い出したのか口を開いた。暇だよね、の言葉が有無を言わせない響きだった、怖い。 それにしてもこの人なんでわたしに構ってくるんだろうか。 彼だって暇な訳じゃない。むしろ幹部だから忙しいのは当たり前なのに、それでもこうして部屋を尋ねてきてくれる。 疑問が浮かぶ事はたくさんあったけれど、こうして無条件に手を差し出してくれる事が嬉しい。 彼は機微に聡い。だからきっとわたしの考えとかそういうごちゃごちゃした頭の中も全て見通してこういった 行動が出来てしまうんだろう。 それは凄いと、素直に思ったし、だけれどもその上の嬉しさが勝って、さまざまな疑問には目を瞑った。 * 「で、何処に行くんですか?」 「んー・・・?それは内緒」 くるり、といつだったか貰った和傘を回す。ぽつぽつ、と雨の音がする。 今となっては雷の力がなくなった為か晴れていても多少の気だるさぐらいで 済んでいるけれど、雨の日はやっぱり気分がいい。 この和傘もわたしの荷物もすべて置き去りで現代に戻ったので、わたしの部屋なんて残ってない上に、 荷物も片付けられているに違いない、と思ったわたしの思考は見事に打ち砕かれた。 外出するならと、沖田さんから軽く渡された和傘は綺麗に畳まれていて、大切に保管されていたのがそれで 分かってしまってそれで少し涙が出そうになってしまった。 なんだか弱くなった気がするけれどじわりじわりと滲む世界がとても優しくて、必死でこみ上げる何かを押しとどめた。 屯所を出てぶらぶらと歩く。前もこうやって歩いた事があったなぁと考える。 あの時は引きこもりがちで、…って今もそうだけれど、それを見兼ねた沖田さんが連れ出してくれたんだっけ? …でも今回は森じゃなくて随分賑やかな所を歩いている。 「おい、見ろよ」「…あれって!」「すご・・・」「久しぶりに見たなぁ」いろいろと聞こえてくるが、わたしのせいか。 わたしのせいなのか。 ちなみに服は着替えたし、別に現代の格好してるわけじゃないのに、なんで注目?! どっか着方が可笑しかったとかだろうか?いつも通りの適当な着方なんだけど・・・。 でも沖田さんはなにも言わなかったし・・・! ぐるぐると考えてしまい、せめてもと傘を顔に被る様に差す。これで顔は見えまい。 そんなわたしをくすり、と沖田さんは笑った。もう、他人事だと思ってこの人は・・・! そういえば前に沖田さんと連れ立って歩いた後、噂になったりしたんだっけ・・・?沖田さんは良い意味でも 悪い意味でも目立つ人だからなぁ・・・。 それに久しぶりってなんだろ、別にそんなに空けていた訳じゃないのに。 前にここに来たのは梅雨時から秋まで、それで今はまだ秋の気温だからそこまで時間は経ってはいないはずだけど。 そんな事をぐるぐると考えている内に、あるお店の前で沖田さんはふいに足を止めた。 「はい、女の子はこういう所好きでしょ」 「…!」 なんとまぁ、そういう気づかいが出来てしまう人なのだと、少し呆けてしまった。 そうでなきゃモテモテにはならないかぁ。やっぱりこういう些細な気づかいが出来る人はモテるよなぁ。 促されて活気づいているその店内に入り、中を見渡せば装飾がずらりと並んでいた。圧倒される品揃えだ。 まぁ、こんなに高級そうなものを見た事もないし、触った事もないわたしに価値が分かるとは思えないけれど。 やはり時代は違うとはいえ、女の子はこういう物が好きなんだろう。店にはたくさんの女の子が溢れていた。 きゃあきゃあと騒ぐ彼女たちはとてもかわいい。着物もやっぱりおしゃれだ。適当にちょうちょ結びしときゃいいか、 なんて思っていた初期の自分を思い出してその違いにしばし愕然とする。 やっぱりどの時代も女の子ってすごいなぁ…と自然と気後れしてしまうわたしだ。自分も女の子の部類に入るはずなのだけれど。 「あれ?…あんまり嬉しくなかった?」 「いえ…そんな事はないですけど」 「ちゃんはいつも髪ピンピン跳ねてるから纏めればいいのにー、って思ってたんだよ」 「…な?!わたしの髪が跳ねてるのは静電気の関係とかで、今は全然はねてなんかいないです!」 「あはは、そんなむきにならなくても・・・これとかいいんじゃないかな?」 そう言って沖田さんが手に取った先には綺麗な簪が握られていた。しゃらりしゃらりと音が鳴る。 これまた高そうなものを・・・ぶっちゃけ持ち合わせがない。というかお金自体この時代のものは持ち合わせていない。 そうするとまた新選組に頼る事になってしまうのが嫌だった。わたしが稼ぐと言ったらお供え物だけだし。 そもそもお供え物とかって稼ぎとかじゃないし・・・。出来る事と言えば庭の草むしりくらいだ。 うわぁ、なにも仕事してない事を再確認しちゃったよ・・・はぁ。 そんなため息まみれのわたしを後目に、沖田さんはすたすたと歩いて、いつの間にか購入していた。 「な、なんという早業・・・って違う!そんな高価なもの・・・悪いですよ!」 「これはいいんだ。散々手こずらせたんだからこれくらい受け取ってよ」 「手こずらせ・・・?え、なにか御迷惑掛けてましたか、わたし?!」 「うん、相当に」 簪を手にして笑顔の沖田さんのその言葉には、その言葉の割になんだか優しい甘さを含んでいた気がした。 それに答えられないでいると ちょっと後ろ向いて、と言って、沖田さんはわたしの肩を掴んで後ろを向かせると髪を結いあげて、その簪を 差した。 「なかなかいいと思うけど?」 「本当ですか?うーん、不安ですね・・・」 鮮やかな手並みで流れるように髪を結われてしまえばもう何も言えない。 そのままほら、こっち、と手を引かれて店の外へ出れば、雨は止んで太陽が出ていた。 地面に目を向ければ水たまりにうつったわたしの髪には、その色によく映える簪がささっていたのだった。 それはきっと鮮やかな色をしている (back) |