穏やかな日々はそう長くは続かないものだ。
日々日々ごろごろして好きな事だけをして生きていきたいと思う、しかしそんな事が許される訳がない。


・・・・と言う訳で巡察中である。



もちろん、近藤さんの役に立てるように剣術は怠らないつもりだけれど、なかなかこれだけ暑い中の巡察となると どうにも気持ちがだれる。 幸いにして不審な人物もなにも見なかったので、屯所へと帰る事にした。







季節は秋。それなのにまだまだ激しい太陽が身体を焼き付ける。
これは今日もちゃんはつらいだろうなぁ、なんて考えたりしつつ、歩く。
もちろん屯所に帰るまでの見廻りも、疎かにはしないけれど。



どこも異常なく見廻りを終えて、新選組の門をくぐり部下にもういいというように手で ひらひらとすれば、仕事を終えた隊士たちはそれぞれの持ち場へ帰っていく。
それを見届けてから、少し汗ばんだ身体を冷やす為に井戸の方へ行こうとひやりとする廊下を歩いていた時だった。


「・・・・・・・・(なにをやってるのかな、この人たち)」


前方にいつもの3人組みが見える。
しかも揃いも揃って大きな身体を(1人を除いて)床に伏せるようにして、なにかを見ている。
その様は実に滑稽なもので、含み笑いをしながら3人に近づいた。



「なぁに、3人して。それって最近はやりの遊びかなにか?」
「あ、総司!お前、帰ってきてたんだな・・・!」
「っ!・・・・総司!」
「慌てず、騒がず、見てくれよ・・・・・これ、」



そろりと言った様子で床から離れた左之さんが指を指した。
目を向けたその先には水たまり。廊下に溜まったその水は一見ただ水をひっくりかえしてしまっただけに見える。 結構な量を零したものだ、と思いながらもそれが何か?といった心境だ。
そんな床に這いつくばるほど大変な事態でもないし、拭き取ればいいだけの話ではないか?



「誰か、水をこぼしたりした訳?拭けばいいじゃない、」
「総司!水だけじゃないんだよ、落ちてたのは!」
「・・・・これ、お前があげたやつだろ。傍に一緒に・・・」
「俺ら不安になっちまってよ・・・もしかして、」



そう、問題はそこじゃない。そこではなかったのだ。
その水たまりの横に自分があげた簪がそのそばに落ちているのだ。 床に落ちたその鮮やかな簪は、自分が見廻りに行く前に顔を見せに行った時には確実に彼女の髪にささっていた物だ。






滅多にないくらい動揺した。




「ま、まさか・・・ちゃん?」
「本当か?!そそそそ、そんなまさか!総司、はいつからいないんだよ」
「僕は巡察があったから、朝以来会ってないよ」
「うわぁあ、とにかくなんか、えっと水を・・・違うか、を桶かなんかに入れといたほうが いいんじゃねぇの?これ!」
「お、桶!でもどうやってこれ、桶に移動させんの?をすくうったって水の状態じゃどーにもなんねぇぞ」
「・・・・・・・・・・てか、これ蒸発したらどうなるんだろうな」

「「「・・・・・・」」」

「ちょっと、ぼーっとしてないで早くすくって!」
「な、どうやってすくうんだよ!」
「手でもなんでも使えばいいよ!」




慌てて声を飛ばし、なにかすくえる様なもの・・・!と思って今来た廊下を引き返そうとした。
頭は真っ白、こんなに混乱してしまう事なんて今までになかった。 どうして、どうしよう、もしかして、本当に?
すくった所で桶の中に入ったをどう元に戻すというのか。
あたふたする3人の後ろから2つの足音が聞こえてきた。ひとつは走る様に、ひとつは静かに姿を見せた。




「何をしている」
「あ、あれ?みなさんどうしました?」




ひょいっと後ろから顔をのぞかせたのは、たったいま蒸発騒ぎになった水神、だ。
斎藤は手に桶を、彼女は布を持っている。
無表情な斎藤とは正反対に元気良い声。沖田は脱力した。 心底力が抜けた。今ならクラゲになれる気分。
良かった。消えてしまった訳じゃない。
胸がつかえるように痛かったのに、姿を見て安心する。ゆっくり、静かに・・・・息を吐く。 落ちつけ、大丈夫。
そう、もう彼女は消えてなくなりやしない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、思ったのに。否、思おうとしたのに。




「沖田さん?・・・・どうしたんです?大丈夫ですか?」
「な、なんでもない・・・」
「総司、顔が真っ青だぞ!」
「おい、だいじょうぶか?」




ゆっくりと息を吐くのを失敗して、吐ききれなかった息が肺へ戻ってくる。
こんなに動揺するなんて、本当に僕らしくない。
ちゃんが安心できるように、いつも笑えないちゃんの為に僕はいつだって彼女の前では笑おうとしてきた。

それなのに、ちょっと消えてしまったかも、なんてそんな事が脳裏をよぎっただけでこの始末だ。
もう、失わない。絶対に離さないと思ったのに。
ぎゅっと、握った簪がしゃらりと音を立てるのが分かった。




「今、が水になっちゃったんじゃないかって心配してたんだよ」
「そうだったんですか。今日は少し蒸し暑いので、桶に水を汲んで涼もうかと思ったんです」
「だが、俺が角を曲がるときに驚かせてしまってな。水がこぼれた」
「なぁんだ、そう言う事かよ。安心したぜ」
「ごめんなさい・・・!心配してくださってありがとうございます」
ちゃん、これ。落としてたみたいだよ」
「へ?あ!・・す、すみません。せっかく頂いたものを落とすなんて、ごめんなさい」
「別にいいよ。持っててくれればそれで」



慌てて髪へ手をやると、簪が無い事に気が付いたのかは手を差し出す。
そっと、壊れやすいものを慈しむように簪を受け取ろうとするの目がとても優しいものだと平助は思った。
そのままその表情をぼーっと眺めていると、左之さんが頭の上に腕を置いてきた。見上げてみれば、にやにやとした目。 そっと声が上から落とされる。「へーいすけ、」
変に間延びした声ですべて見透かされている気分になって、平助は慌ててその腕を振り払った。



「ありがとうございま、・・・あれ」
「ほら、もう落としたりしないでよ」



目の前に広げられた手の中に簪を落とす事はせず、 くしゃっとという感覚を楽しみながら柔らかい髪をさらりと結いあげて簪を差す。
結いあげられた首筋に風が触れて涼やかな気持ちになった。にっこりと笑ってやれば、 は目を瞬かせて首を傾げた。しゃらりしゃらりと綺麗に音が響く。 この音がする限り、彼女は生きていると実感できる気がした。・・・彼女に触れる事によってやっと実感した。
大丈夫だ。彼女はここにいる。消えてなんかない。

揺れる髪を耳にかけてやった後に、の肩に手を置いて口を開こうとした時だ。
庭に桶を下ろした斎藤はそんな2人へ声を掛ける。超絶間が悪い。どうして今ここで。 しかしそんな事は彼にとっては関係ない事であったらしい。普段とまるで変わらない表情のなさだ。




、桶はここに置いたからな」
「あ!ありがとうございます、斎藤さん」
「いや、大した事はしていない。俺の方こそすまなかった」
「そうだ、お詫びと言ってはなんですが、斎藤さんも一緒に涼みませんか?」
「・・・・そうだな」


「左之さん・・・俺たち、完全に空気じゃ・・・」
「言うな、言うと余計に悲しくなるぞ。良い男ってのは空気を読む事も大切だぞ、平助」
「はっはーん、じゃあ俺は完璧だな!」
「・・・・・・・・・空気、読もうな。新八」
「左之?なんだよ、なんでそんな目で俺を見るんだよ!」

「ちょっとちょっとちょっと!ねぇ、一くん」



しかし空気を読まない行動をされた沖田が黙っているはずがない。
を自分の後ろに置いてから、斎藤へと向かう。
今のこの場面で、なにも話しかける事ないでしょ!とかなんとかを叫ぶ。 対して斎藤も、別にそれくらいの事で・・・などと反論するので、ますます収集がつかなくなる。 うわぁ・・・と呆れ顔の2人と、分かってない1人と、うわぁああ、なんかまた面倒な事になった!と思う 1人は茫然と眺めるしかなかった。
ちなみに一番最後の面倒だと思ったのは、一番心が広くなくてはいけない神様だ。

・・・・・・・耐えねば。例え面倒でも。耐える事が大切だ。
いくらガンガンと照りつける太陽の中、熱さをモロに受ける着物をずるずると着ていたとしても。
ガンガンと言うのは太陽の熱のせいなのか、頭の中から響いているのか分からなくなってきた。
神様だから、・・・・・・・・かみさ、・・・・・・・・・、






「ん?・・・・お、おいっ!!?大変だ、が倒れた・・・!」
「え?・・・・・・・・ちゃん?!」
「こんな暑い所で暑さに弱い奴がいたらまいっちまう。ほら、平助。涼しい所に運ぶぞ」
「ちょ、待って、僕が運ぶ・・・!」
「俺は、副長に石田散薬をもらってくる」
「いや斎藤、早まるな!それはいらねぇと思うぞ!」












神の懐へ送ってやるぜ




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