彼女がクラスXに来たのは少し蒸し暑いと感じるようになった6月くらいのことだった、と思う。 南先生の魔の補習から逃げつつ、たまに受けつつ、そんな進歩を少しは感じられるようになってきた時に それは起こった。





「今日は、みんなに紹介しなくてはいけない人がいます!」
「え〜何それ、先生」
「これからみんながお世話になる人よ。挨拶きちんとするのよ?」
「はぁーい、ゴロちゃん、いい子だからパラッペきちんと挨拶するよ!」
「FUU・・なぜ俺がアイサツなどしなければならんのだ!」
「まぁ、そういうなって翼。挨拶は基本って言うだろ?」
「一くん、えらい!もっと翼くんに言ってやって!」
「・・・・ぐぅ・・・」
「・・・って寝るなー!瑞希くん、起きなさーい!」
「キシシッ・・・今度はどんな悪戯仕掛けっかなァ?」
「駄目!駄目よ!せっかく来てくれることになったんだからーっ!」
「今日のセールは、うどんと鶏肉か。何、こっちのスーパーではキャベツが安いだと?!」
「こらー!HRにチラシとにらめっこしないの!後にしなさい、後に!」

「あのー・・入ってもいいですか?南先生」



ガラッとドアが開いて、ひょこっと顔を出す者がいた。いつまで経っても紹介が来ないので、心配になって ドアを少し開けて首を出してみれば、とそんな感じだろう。 第一印象は、なんかふわふわした奴だなと思った。なんつーか、雰囲気全体がふわふわしてるっつーか。でも なんだろう・・妙な違和感をこいつからは感じる。へらへらと笑っているのに、どーもおかしい。



「あーっ、ごめんね、先生!」
「いえいえ、大丈夫です」
「じゃあ、改めて紹介するわね。クラスXに副担として入られる先生よ」




そこまで南先生が言ったとき、隣に座って(座るという格好はどうであれ)ウォーターガンの手入れをしていた らしい清春が顔を上げて首をかしげるようにした。なんだか不思議そうな顔をしている。 今の時点では特に首をかしげるようなことは、何も言っていないと思うが。




「アァ・・・?お前、オレ様が仕掛けてやった、ブチャ専用捕獲機Ver.2.02はどうした?」
「・・・・?ああ、もしかしてコレのこと?このドアの上に仕掛けてあった・・・・」
「そーダヨ!なーァンで、お前が持ってんだよ!」
「・・・一応スーツが台無しになると思って取ったんだけど」
「・・・取ったァ?取っただとーッ?!オレ様の会心の作を・・・・ッ?!」
「ふむ、清春の悪戯に気がつくとは・・・なかなかやるな副担」
「どうして分かったんですか?!私なんて何枚もスーツ駄目にしちゃってるのに・・・」
「あ、えー、えーと!そ、その・・・な、長年の勘?とかそういうものだと・・・」
「勘・・・すごく働いてる・・・」
「なんか、キヌちゃんみたいなこと言うねっ、先生って!」
「・・・衣笠先生のことですか?いやいやあんな天使みたいな人と私を比べるなんて全然」
「ハハハハハッ、無様だな、仙道!たまにはこういうことも味わってみろ!」
「ウッセー!ちくしょー、ナンなんだァ?オマエはッ!」
「あ、私中等部から来ました、です。クラスX副担任になりました、よろしくお願いします」




清春の言葉を受けて自己紹介をした先生の言葉はあまりに普通すぎて少し肩透かしを食らった気分だった。 そういうことじゃねェんだよ!と叫んでいる清春の声をぼんやりと聞きながら、俺は彼女のことを考えていた。 確かに、少しおかしい。でも衣笠先生みたいな何考えてるか、わからないって感じではない。 何かを隠していると言った方が正しいと思う。うーん、でもなんなんだろう。この違和感は。 その違和感の謎がわからず、気がつかれないように先生を見ていると、彼女は俯きながら小さく口を動かした。 でも、何て言ったのかはわからない。 何だったんだろう?といつもは働かさない頭を回転させていると、彼女が俺の視線に気が付いたのかこちらをみて、 にこりと笑う。気が付かれないように見ていたはずなのに。その笑顔は表も裏もない。 そう、普通なはずなんだ。彼女はいたって普通、のはず。

普通。普通なのだ。だから余計にひっかかる。







「一、どうした?さっきから黙り込んで」

バカサイユについてからも、俺は考えていた。それこそ、最近黒と緑のチェック柄のヴィーナス像に 夢中になっていた翼に気が付かれるくらいに考えていた。 どうしてこんなにひっかかるのかはわからないが、どうも彼女のことが頭から離れないのだ。 おそろしくふわふわなソファーに身を沈めながら、俺は翼に尋ねてみる。


「なぁ、翼。先生のことどう思う」
「どう思うって・・・まぁ、清春の悪戯を回避したことは評価できるな、偶然な気もするが」
「いや、違うってそういうことじゃなくて」
「WHY?どういうことだ」
「なーんか、ある気がすんだよなー、先生って」
「なんの特徴もない平凡な教師じゃないか。副担だって何日持つかわからんぞ?」
「いや、きっと長くなると思うぜ。南先生の時と同じように」
「やけに自信があるようだな」
「・・・よく分かんないけど、なんとなくそう感じるんだよなー・・・」







次の日もそのまた次の日も、副担である先生は変わらなかった。
いつも通りに、HRに南先生と来て、後ろでクラス全体を見回すようにして立っているだけだ。 たまに次の授業に遅れそうになったのか、廊下を走っている姿も確認した。 変わらない、そんな普通の光景。 バカサイユにいるときにも、さんざん他の奴らにどうしたんだ、と聞かれたけれど、それも俺自身よくわかってない。 清春も、最初に悪戯を仕掛けたときに失敗したのが、よほど堪えたのかかなりの量の悪戯を背負ってバカサイユから 飛び出していくことが多くなった。ただ、またそこで先生の不思議が増えた。 清春が仕掛けた悪戯にすべて引っかかっている、らしいのだ。そう、全て、仕掛ければ仕掛けるほど引っかかる、と清春は 言っていたが、じゃあ、やっぱり最初の時のあれは単なる偶然だったのだろうか・・・。 だけど、俺は初めて先生を見たときの違和感が気になって仕方がなくて、ついつい目で追ってしまうそんな日々が続いた。

そして俺の先生に対する違和感は、見事に的中した。




それは、俺が裏庭を歩いているときに起こった。
俺は放課後の補習に行くべきかどうか、そんなことを考えながら歩いていた。 実際の所は行くべきかどうか、なんてことじゃなく、 どうやって逃げ出すか、そればかりを考えていたのだが、ついつい周りに気を配るのを忘れていた。 何か嫌な予感がする。もと来た道を戻ろうとしたが、遅かった。俺の前に立った気配で分かる、勇次だ。 そしてまたいつも恒例の嫌味、罵倒が続く。どうして勇次がそうなってしまったのかを未だ俺は理解することができない。 もう、誰も信用しない。そうすれば誰にも裏切られない。そんな考えが頭の中をぐるぐると回りだす。 サッカーなんてしない、聞きたくない。苦しい、さびしい、そんな事は胸のどこかにでも押し込めておけばいい。 今更、俺がどうなったって、そんなことはどうでもいいことだ。 そんなことを考えながら、心が重くなるのを感じた。 制服のポケットに手を入れナイフの感触を確かめるようにきゅっと握る。勇次の声は聞こえない。でも、体中の血が 駆け巡って、指先まで熱い。ひやりとしていたナイフもそれに伴って生ぬるく温まっていく。 そして握ったナイフを勇次の首に突きつける。




「てめぇ、それ以上言うと・・・・!」
「はっ、またそういうことをする。とことん学習能力がないようだな」
「んだと・・・!?」




そこまで言いかけた時、ナイフが俺の手からすり抜けるようにして上に飛んだ。 何が起こったかわからず、勇次もきょろきょろとあたりを見回している。 しかし案外早くその原因が見つかることとなる。いつのまに現れたのだろう勇次の後ろにいる人物は。
いつものふわふわとした仮面みたいな笑顔じゃなくて、体の底からぞくぞくするような笑顔。 俺は息をゆっくりと吐いて、勇次の後ろに立っている先生と目を合わせた。 すると気持ちが落ち着いてきたのかもしれない、かっと頭にのぼっていた血は、何故かおとなしくなった。 俺のナイフはもちろん彼女の手の中だ。 くるくると弄ばれるように、回されるナイフはとても軽く見えた。これを使えば、命を奪う事だって出来るのに。 勇次も振りかえってようやく原因が分かったのだろう。しかし驚いているのか、一言も口にしようとはしない。






「なにやってんの?・・・喧嘩?」
「・・・・っ!」
「・・・・!」
「タイマン勝負に武器はなーし!」

こんな砕けた話し方をする先生を始めて見た。にっこりと嬉しそうに笑いながら、ナイフの輪郭を指でなぞる。 授業中もそれ以外でも、敬語でしか話しているところを見たことがなかった。 しかし、その言葉によって勇次が弾かれたように言葉を吐き出す。


「あなたには関係のないことだ!ふん、自分のクラスの生徒だけ庇うとはさすがですね」
「よせ、勇次!」
「・・・ふーん、草薙くんからナイフを取り上げてあげた私にそういうこと言うんだ」



笑みが深くなった。これはマズい。本能的に頭の中で危ないという声がする。
ストリートで学んだことが、こんなところで活かされるとは、思いもよらなかった。
今の先生は、例えるなら獣のような目をしている。それもかわいいものじゃなくて、獰猛な獣の目。 私、あんま気短くないんだよねぇ、と軽く朗らかに言いつつ、先生の目は本気だ。 いつもの仮面をかぶったような先生ではない。いや、これは「先生」じゃない。

そしてその瞬間、勇次の足元に目掛けてナイフが飛んだ。 もちろん外してくれるのだろうけど、勇次から息を呑む声が聞こえた。 餓鬼が、イキがってんじゃねーよ、と凄みを利かせた先生を見て、勇次はそのまま立ち去った。やや、早足で。 まぁ、それが懸命な判断だろう。俺だって出来るもんなら逃げたいよ。



「なーんだ、たいしたことねーな!ハハッ」
「・・・・そういうことかよ」
「あ?どうかした、草薙くん」
「あんたを初めて見たときから、どーもおかしいと思ってたんだ」
「なっ・・・なにがおかしいって?」
「清春の悪戯は見破っちまうし、俺の視線にはすぐ気が付くし」
「今のところは全部引っかかってあげてるよ。バレるとマズいから」
「バレ・・・?」
「私、今までの学校全部クビになってんだー、だから今度こそは・・・って、ん?」
「そんなことベラベラ俺に喋っちまっていーのか?」
「・・・・あ。ヤベ。マズい」



さっきまでの表情が嘘のように、しまった!という表情が前面に現れている。 表情がさっきから、笑ったり、凄んでみたり、慌ててみたり、とくるくると変わる。 なんと黙っていてくれ、と頼み込む姿まで見ることが出来てしまった。そこでふと疑問が沸く。その疑問は自然と俺の口から 滑り出るように出た。



「なぁ・・先生、どうして教師になったんだよ?」
「私、昔はバリバリの不良ちゃんだったんだ、っですよね〜」
「・・・先生、口調無理して変えなくてもいーぜ?もうバレちまってんだし、気持ち悪い」
「ああ?喧嘩売ってんのか、テメーは!・・っマズい。っもう、あまり素を出させないでよね」
「・・・取り繕ってるほうが、俺には不自然に見えるけどな」


そう、言うとはっと気が付いたかのように、俺の顔をじっと見てくるので何かまずいことでも言ってしまったのかと、 珍しく焦ってしまった。いや、別にどっちの先生でも俺はいいと思うけど、とかなんとかフォローにもなっていないことを ベラベラと話す俺に対して、先生はやっぱり無言だ。やはり何かが気に障ってしまったのだろうか。 しかしそんな俺の不安をよそに、先生は、ぷっと吹き出すように笑ってから言葉を俺に投げかけた。



「そっか。じゃあこのままで行かせてもらう」
「ああ、そのほうがいいぜ?」
「そうそう、何で教師になったかだったね。うーん、考えるとやっぱりあれかな・・・」
「あれってなんだよ?」
「・・・・・」
「・・・・?なんだよ急に黙りこんじまって」
「・・・もう1回やり直そうと思って。んで警察のオッサンにいろいろ相談を持ちかけて」
「ふんふん・・・ってちょっと待て!不良なのに警察に相談?!おかしくねーかそれ!」
「これだけ問題起こしてりゃ、嫌でも顔見知りくらいにはなるさ」


どことなく遠い目をしたような気がしたのは、俺の勘違いだろうか。いや、確実に遠い目をしていた。 うふふ・・・とか言ってる時点で雰囲気が怪しい。しかし俺がツッコミまくりなこの会話もどうよ? でも、それで教師になろうとして、なれたってことはもともと先生は素質があったってことだろう。 若干問題になって、クビを繰り返してはいるようだが。


「だから草薙くん、私とこの1年頑張ってくれませんか?」
「・・・補習のことか・・・悪いけど俺はそんなことする気にはなれない」
「ああ、ストリートでバトルしてるって言ってたもんねぇ」
「っ!どこでそれを・・・!」
「さっき逃げてった奴が草薙くんにめちゃくちゃ言ってた時」
「チッ・・・あんたには関係ないことだろ」
「まぁ、そうだけど。私には関係ないことだよ。踏み込んで欲しくない気持ちも分かる」
「・・・」
「聞いたよ、草薙くんにはB6っていう仲間がいるんだってね」
「だから、それが何だって言うんだ・・・」




よ!、と言いかけた時、俺は視界がぐるりとまわった感覚を覚えた。気が付けば、俺の背中は中庭の地面に叩きつけられていた。 上には先生が片方の膝をを俺の身体に押し付けるように乗せ、シャツの襟の部分をきゅっと手で掴まれている。 あまり力は入ってはいないが、どうやら俺は地面に倒されたようだ。 ストリートでも負けなしの俺にとっては久々に地面とご対面した。先生って本当にヤンキーだったのか・・・。そんなことを今更ながらに実感し、 視線を上の方に向けると、それと同時に苦しそうな先生の顔が目に入る。


「それにね、どんなに喧嘩が強くても、それだけでは人は付いては来ない」
先生・・・」
「草薙くんの周りにあの子たちがいるのは、草薙くんが草薙くんだからだ」
「・・・だけど俺は・・・あいつらのこと、」
「私は違った。皆、私には近づいてこなかった。居たのは、舎弟ばっかり」
「しゃ、舎弟・・・!」
「友達がいるってのはいいことだね。すごくすごくうらやましい」


その後小さな声で、本当に、と付け足す先生を俺は見逃さなかった。 俯いてしまった先生を見て、またしても高ぶっていた気持ちがすっと冷えたように去っていく。 これは俺が先生を重ねて見ているからなのか、どこかでリンクする部分があるからなのかもしれない。 そう・・・怒りは消えて、逆に笑いがこみ上げてくるほどに。


先生・・・それ友達が欲しいって言っているように聞こえるんだけど?」
「ん、よく分かったね、そのとーりです!だから教師にもなったってわけよ!」
「嘘だろ・・・?冗談のつもりで言ったのに」
「本当の本当だよ。そんな理由で教師なんかやるなって感じだよね」

ふふ、っと笑う。さっきみたいに獣のような笑みではなくて、綺麗に。
いつまたさっき勇次を追い払った時のようなキレた先生が出てくるかはわからない。
それくらい先生の境界線は曖昧だ。
でも、今は違うとはっきり言うことができる。何故なら俺の手を取って、立ち上がらせる先生はとても優しい目をしていたから。





「言うなれば、友達作りに来たってこと。前途多難だけどね」
「・・・何言ってんだ。もうとっくに先生は俺らの仲間だろ?」
「・・・!そうだと、嬉しいかな・・・ありがとう、草薙くん」
「一でいいぜ、先生!」
「おうよ、一!じゃあまずは総会に出席するところから・・・ん、それとも補習」
「いや、待て待て!それ友達のすることじゃねーよ!」
「そうなのか?いやぁ、最近の友達ってのはよくわからないな。でもとりあえず補習」
「なんでそんなに補習にこだわんだよ!」
「南先生が言ってたから。一くんに補習を受けさせなきゃ〜って!」
「だからって・・・」
「こんな私に無条件で微笑みかけてくれたんだよ?!南先生万歳!」
「んな、ぴよちゃんの刷り込みみたいに・・・」
「ぴよちゃん・・・一、お前一体・・・」
「俺は聖帝のナナツゴロウと呼ばれる男だぜ?」
「私は、金髪のドラゴンって呼ばれてた女だぜ?」
「ど、どらごん・・・見てぇ!」
「ま、ってなわけでとりあえず補習するぞ、補習!」

両手を上げ嬉しそうに駆け出す先生。これ、普通に事情を知らない生徒が見たら驚くだろうなぁ、だって普段はおとなしくて、物静かで 喋らない先生だもんな・・・ってオイ!バレちゃマズいんじゃなかったのかよ!・・・もしかして先生が今までバレてなかったのって、誰とも交流を図っていないからじゃ・・・。 はぁ、これからが思いやられるぜ・・・。






夜露死苦、ヤンキー先生!
「あ、一っ!こないだ提出した課題正解数が増えたって南先生よろこんでたぜ?」
「ん・・・?副担。いつから一のことを名前で呼ぶようになったんだ?それに口調が・・・」
「あ、こ、これは翼。気分転換ってやつだぜ!そう、そうなんだ!ははははは」
「そうそう、真壁くんも補習出てくれると嬉しいな〜なんてね!はははは」
「なんだお前たち2人して変な顔でSMILEして」
「・・・・っ!(こんにゃろ、人が下手に出りゃ、いい気になりやがって・・・!)」
「(おいっ!先生。抑えろ、抑えろって!)」
「(ぷっちん!)だぁあああ!てめ、よくも変な顔だなんて言ってくれたなぁ!ああん?」
「・・・あーあ、やっちまったぜ」
「はは、は、一!急に副担はどうしてしまったんだ!?」



とまぁ、こんな感じでどんどんバレていくのです。
でも一応B6の皆は隠してくれています。