「うぅ・・・寒い、眠い」
「教師たるもの、そんな不抜けた事では失格だな!」
「寒いものは仕方がないじゃない・・・」



すっかり秋も通り過ぎて、寒さが肌を刺すようになった今日この頃。 学校への道のりは遠く、数十分間は歩かねばならない。 コートの前をかき合わせて、冷たい風から身を守るように体を縮こませて歩く。 対して私の横から聞こえる声は、私の隣を歩いているわけではない。



「って、真壁くん?あのねぇ、嫌がらせか何なのか知らないけど車から顔だけ出して話すの止めてくれないかな?」
「Fuu・・・つくづく思うが、お前はワガママだ。この俺が話してやるだけでもアリガタいと思え」
「(こんにゃろ、この坊ちゃまめ)はいはい、じゃあ先に学校行きなさい。公共の場で迷惑でしょ」



私の歩みと共にその速度にきっちり合わせているためか、後ろには車の列が出来ている。 この朝の貴重な時間にかなりの迷惑だ。まぁ、そういうことを考えていないからこんなことが出来ているんだろうが。 多分そこを指摘しても、今のままじゃけして直しはしないんだろうけれど。 実際、真壁くんの態度は私の想像したとおりで、フンと鼻で笑ったかと思うと、秘書の永田さんに 命令してスピードをあげただけであった。この・・・本当に素直じゃない子だ!





学校になんとかたどり着いて、寒い寒いと言いながら職員室に入る。 あ、あったか〜い!生き返りますねぇ、暖房素敵!とか呟きながら自分の席に着く。 ババくさいと自分でも思うが気にしない。 そんなババくさい自分の前にコーヒーが置かれる。なんて気の利く人なんだろう、と見上げてみると そこにはにっこりと笑った南先生がいた。 あああ、南先生ぃぃい!



「聞いてください、南先生!今日も真壁くんが私のこと鼻で笑って、車から!」
「お、落ち着いてください、先生。何を言っているのか、わかりません!」
「すみません・・・つい、本当にもう!・・・真壁くんをどうにかしてください」
「それをどうにかするのが、クラスXの担当である私たちです!」
「うう、そうですよね、どうにかしないと!今日も1日頑張りますっ」
「ええ、頑張りましょう!」



その声と同時にコーヒーをぐいっと飲む。
多少熱かったけれど、それだけではへこたれない。頑張れ私、輝かしい未来のために!




「さ、今日の補習は私が担当です」
「Bad・・・サイアクだな」
「なっ!私が嫌いならそれでもいいから、頑張って内容だけは覚えてね」
「・・・別に」
「別にって・・・この漢字を1個だけでもいいから覚えてみるとか」
「そういうことじゃない!もう、いい。俺は帰る!」



ばたんと閉められたドアを見て、私は遠い目をするしかなかった。 さっき頑張ろうって決めたばっかりだったのに、何故、こうなるんだよ・・・真壁くん。 そんなに私が嫌いか!こうやって逃げられてばかりでは一向に補習も進まない。 こんな調子でずっとやってきたけど、本当に大丈夫だろうか。真壁くんの進路は今 この時期頑張るかどうかで変わってくるっていうのに、私は補習をまともに受けて 貰った覚えも数えるくらいしかない。はぁ・・・落ち込むなぁ・・・。



悲しいやら、情けないやらで、涙が出そうだ。
こんなことがあるたびに、職員室の先生方には励ましてもらったりしているけど、 やっぱり自分が情けなくて、泣きたくなる。先生方が優しい上に優秀だから余計に。 でもここで泣いているわけにはいかない。泣いたってどうしようもないじゃない。 原因を調べなきゃ。他の先生の補習には参加しているみたいだし、 私がやっぱ悪いんだよな。何が悪いんだろう。他の生徒さんの時はそういうのないのになぁ。 なんだかんだいって他のB5の子たちは受けてくれてるし。



「んで、なんで俺?!」
「だって、真壁くんと1番仲が良いかなと思って」
「まぁ、そりゃそうだけどさー・・・でも先生は悪くないぜ」
「皆そう言ってくれるんだけどね。でも受けてくれないってことは私が悪い事したんだと思うの」
「・・・えーっと・・・」
「でもこのままじゃ、勉強も進まないし・・・」
「・・・先生はさ、翼に何をして欲しいんだ?勉強させたい?補習を受けて欲しい?」
「私は・・・えと、その、真壁くんの未来への手伝いがしたいんだよ」



確かに真壁財閥っていう大きな組織の中で守られていることなんていくらでも出来る。でもそこから 自分のやりたいことをやり遂げるってことになった時に丸腰じゃどうしようもない。 そこで力を発揮できるような、そんな大人になって欲しい。 いろんな選択肢が選べるようにしてあげたい。 そんな思いを込めて言ったたどたどしい言葉は思わぬ人物に聞かれることとなった。



「・・・だってさ、翼。じゃ俺行くな。裏庭でねこにゃん待たせてるんだ!」
「・・・!」
「そ、そう。草薙くんありがとうねー」
「一に呼ばれてなんだと思えば・・・」
「う、うん。真壁くんいつも逃げるし・・・嫌われたままじゃいけないと思って」
「What?逃げるだと?!この俺がいつ逃げた?!」
「いつも逃げてるじゃないの!補習の時とか補習の時とか!」
「う、え、あー、それは・・・」
「口ごもってる・・・。なっかなか補習受けてくれないから、ほんとにもう、」
「それは、だな・・・」
「朝も嫌がらせばっかりだし・・・私のこと、やっぱ嫌いでしょ、」



自分で悲しい事ばっかり言っていたら、視界が潤んできた。泣いたってしょうがない、とあんなに偉そうに言ったのに、 結局これか。涙は自然に出てきてこぼれそうになる。 やば、泣くな泣くな泣くな!泣いたら負け!上を向け!生徒の前で泣く先生なんて、ますます 呆れさせてしまうだけだ。
ってしまった、上を向いたらもろ真壁くんの真っ赤な目とばっちり合ってしまった。 慌てて下を向くけれど、見られたことは確かで。しかも急に下を見たから、目から涙がこぼれて パンプスを濡らしていく。ぽたぽたと教室の床に染みを作っていく。 手で拭おうとしたけど、やっぱり止まらない。私は弱い、少しの逆境ですぐに負けてしまいそうに、 押しつぶされそうになる。
真壁くんはなにも言わない。やっぱり呆れただろうか、なんて弱い奴なんだと。 どうしようもない奴だと思っただろうか。



「馬鹿、泣くな」
「は?・・・え?ちょっと」



俯く私の顔が見えるように、真壁くんは膝を折った。そしてすらりと伸びた人差し指で 私の涙をぬぐった。それは馬鹿にしたようでもない、多分呆れたようでもない、瞳で 私と目を合わせた。どんな顔をして私の涙をぬぐっているのだろう。私の視界はぼやけていて、 それは知ることはできなかったけれど。

思えば、真壁くんと目をしっかりと合わせたのは、これが初めてじゃないだろうか。なんだかいつも そらされてばっかりで、まともにじっくりと見たことがなかった。副担になってから随分とかかった ものだ、本当に、馬鹿みたい。



「違うな・・・先生。・・・Sorry、これからは補習も受けるから心配するな」
「・・・え?」



今、なんと言っただろうか。あの、あの真壁くんが補習を受けるだって? 思わず涙も引っ込んでしまうような言葉をさらりと言った。だとしたらこの流れは何だ? どう考えても真壁くんの気持ちを変えるような重大なことがあったとは思えないが。
まじまじと彼の顔を見つめてみれば、はたと我に返ったように乱暴に吐き出される言葉は紛れもなくいつもの 真壁くんで、さっきのしおらしい言葉からは想像も出来ないほど傲慢であった。そういつものような。 でもただひとつ違った事がある。



「あれ、今、先生って言った・・・?」
「べ、別にいいだろう!お前は俺の先生なんだからな」
「悪いなんて言ってない!嬉しいですよ」
「・・・っ!」



涙と笑顔でごっちゃまぜになった私を見て、不細工な顔をするな、と理不尽な理由で 怒った真壁くんは教室から出て行ってしまった。私はいつも彼を怒らせてばかりである。 でも今なら、前と違って恐れずに追いかけることが出来る。 1人教室に取り残された時とは違う。
私は教室から飛び出した。



「真壁くん!」
「・・・まだ何か用か?」
「一緒に校門まで行きましょう」
「庶民が調子に乗るな。別に俺はお前と帰りたいわけじゃない」
「あ、またお前に戻ってる!」
「Shit!さっきのはそう、気まぐれというやつだ!」
「気まぐれ、ね。うん、今はそれでもいいや。明日からは補習頑張ろうね」
「・・・受けてやらんこともない」



ぶっきらぼうに吐き出した声とは裏腹に、歩調をさり気なく合わせてくれていることに彼は 気付いているのだろうか。でもそのことは真壁くんが気が付かなくても良い。 私が気付いたと言うことだけで、それだけで十分だったからだ。
同じ速度で、ゆったりと歩けることがこれだけ嬉しくて、暖かくて、安心するとは思わなかった。 卒業した時に、そのことを彼に教えてあげよう。真壁くんは一体どんな顔をするんだろうか。 きっとその表情は私の中でとっても大事なものになるだろう。今はまだ一緒にいてもこのバラバラな 気持ちがだんだんとひとつになって、彼と私の歩調がぴったりと合うことを信じている。
願わくば、彼の願う道に少しでも力になれますように。








ストロークの差
「翼ー、どうだった?先生とは」
「別に、どうもしない」
「本当に翼は意地っ張りだよなー。照れ隠しすんのはいいけどあんまりやりすぎんなよ」
「ば、馬鹿!照れ隠しなどしていない!」
「いい加減、素直にならねーと先生真剣に悩み始めてるらしーぜ、お前のこと」
「ふ、俺のことであいつが悩むなら別に構わない」
「ちっげーよ!お前のことっつーか、お前の補習の進み具合のことだっつーの!」
「な、なに?!あいつは俺の進む道を手伝いたいと言ったぞ!」
「だーかーらー、今現在翼に足りてないものは補習だって事で悩んでるんだって!」
「なにー!?」





たまには冷たい翼くんもどうですか。馬鹿なだけじゃないんです。



(081119)