今や聖帝は現理事長によって改変の時を迎えている。
B6を引っ張って無事卒業までこぎつかせた恩師、南悠里は南米の奥地へ飛ばされた。 自分の在学中にいた理解ある教師陣、T6も同様に飛ばされてしまった。 ―――そして、B6のもう1人の恩師、は ・・・と永田に情報を探らせた報告書にはたった1言だけ書いてあった。


「聖帝学園高等部3年E組副担任」


俺は書類を机に叩き付けて部屋を出た。何をするかって、決まってる。今こそ俺たちの力を使う時じゃないのか。 彼女が1人で孤軍奮闘している様がありありと浮かんだからである。 携帯のコールの次に出た電話越しの声が次々と是と言うのを聞く。 それを見越して俺は、用意していた聖帝へのチャーター便へ乗り込んだ。


眼下にある懐かしい思い出が詰まった聖帝の校舎を見つめて、真壁財閥の後継者であり、かつてのB6であった俺は、 俺なりに色々思う所もあってここ戻ってきた実感を得た。
桜がこうして散る頃、5年前の俺はこんなにも穏やかに桜を見ることが出来ただろうか?
――――自分を変えてくれた恩師2人には表だって は感謝を伝える事は少ない。しかし本当はなによりも深い感謝の念を抱いている ことも、彼女達は知っているのだろうか。







そんなこんなで迎えた5月の事、無事に臨時講師として迎えられていた俺はようやくこの生活にも慣れてきた。
理事長はまだ動きを見せておらず、まだ聖帝は平穏だ。職員室へ向かう足並はゆったりとしている。 B5はそれぞれ動いていたが、得にめぼしい情報はなかった。ゆえに待つしかない。 半ば諦めのような気持ちで職員室のドアを開ける。





授業中ということもあり、職員室はがらんとしている。誰もいないと分かっていて、彼女の机を見てしまうのは もう習慣みたいなものだ・・・って
「(なんでいる?!しかも今授業中だぞ、授業はどうした?!)」
在学中に言っていれば涙の1つや2つくらいは貰えただろう。 ただその本人は机に俯せになっていて俺という存在を完璧シャットアウトしている。 俺は足音をなるべく消してそっと近づいた。


息をときおり吸う時にはひっ、と引き攣るようで、まるで何かを堪えているようだ ・・・・まさか、な、なな、泣いている訳じゃないだろうな!?
彼女と俺しかいない空間ではあったけれど、思わず挙動不審な動きをしてしまい、周りを見回す。 「(ど、どどうしたんだ、副担!)」


比較的女性の涙にも慣れているというか、強い方であると思いたい俺だったが、どうも彼女の涙だけは苦手だ。
どうしたらいいか分からなくなる上に、かなり焦る。 かつて担任であった女性が泣いた時は慰めの言葉も言えるのだが、副担は違うのだ。副担自身があまり泣かないと言う事 もある。というかあいつが、俺達の卒業の時にもけろりとしていたのを見たときには、俺たちの方が 泣きそうになってしまったことはTop secretだ。担任と副担の差が激しすぎたせいだろうか・・・?
別に薄情というわけではないのだが、とにかく笑顔の印象が強い副担のことだ、 まさかこんなところで泣く副担と遭遇してしまうとは誰が想像しただろうか。
こんなに焦るのは、副担の普段の姿からは想像がつかないから、そのGapで混乱するからかもしれない。
しかしいつまでもそうしている訳にはいかない。いつ敵が来るか分からないのだ、早く行動を移した方がいい。
俺は、副担に近づき、そっと声を掛けた。


「おい、どうか・・・したのか?」
「・・・・・っ、つばさくん?」
「あ、ああ。俺だ。なにがあった」
「・・・つば・・・・っ!」
「おい!顔をあげろ!」


声を掛けても身体を小さく震わせて俺の名前を呼ぶだけで顔をあげようとはしない。
その様子は見ているこっちがハラハラしてしまうようなもので、とても見てはいられない。ついに、(というほど 時間を経てはいないのだが) 痺れを切らして肩に手を置き、俺の方へ顔を向ける。
椅子がぐるんと回転して身体はこちらへ向いた。だが首から上は後ろを向いたままだ。 馬鹿にしているのか・・・真剣なのか・・・そんなに顔を見られたくないのか・・・。
きっと振り向いた顔には、今まで見たことがない彼女の表情が浮かんでいるのだろう。 悩んでいるなら相談にのりたいし、慰めてやりたい、と気持ちが動く。こっちへ向いてくれと思いを込め両腕に ぐっと力をいれて、促す。・・・こっちに向いた彼女の顔は・・・・はぁ?



「なんで・・・笑いをこらえてるんだ・・・」
「・・・ひぃ、もう駄目・・・死ぬ。息出来なくて死んじゃう・・・っ!」
「・・・Fuu、年越し苦労というやつだな・・・馬鹿か、俺は・・・」
「っ・・・翼くん。・・・ひっ、あは、あははっ・・・っ!」
「な、なんだ!」
「それをいうなら取り越し苦労です・・・さすが翼くん・・・ははっ」


会話と会話の間にいちいち空間が挟まれるのは彼女が笑いを堪え、通常の声色を出せるまでに準備が いるからだ。引きつり笑いまでする程なにが可笑しいのか。
疑問符が俺の周りに飛び交っていたのだろう、副担は目尻にうっすらと浮かんだ涙を軽くぬぐってから、 4枚の書類を俺の前に突き出した。


「・・・これ、見て」
「なんだ、これは・・・【A4補習出席状況】?」
「これね、A4の子たちの補習状況なんだけどね・・・いやぁ、ほんとに」
「思った以上に手が掛かるのか?俺たちも出れる時は出てるつもりだが・・・やはり難しいのか」
「・・・ぷっ、あはは、違う違う!」


ぶんぶんと顔の前で手を振った彼女は、さっきの笑いがまた復活してきたのか、またしても引き笑いを 始めた。
俺は広い心でその発作が治まるのを待っていたが「ひっ、あは、ははははっ!っ、ふは」・・・どうやら 永遠に治まらないようなので口をはさんだ。


「Be calm!一旦静まれ、副担。説明しろ」
「ああ、うん。あのね、すごい良い出席状況なんだよ、A4の子たち」
「・・・本当か?まさかおとなしく出るとは思わなかったが」
「B6と違って素直な子ばっかでさ、なんだかんだで出席してくれるんだよねぇ」
「・・・悪かったな、素直じゃない生徒で」
「・・・いやいや、先生として色々勉強させてもらったよ。ま、もう教師を買収しようなんていう生徒はいないと 思うけど」
「・・・悠里先生から聞いたな?」
「バッチリ聞いてます。その他にも色々・・・ええ、そりゃもう色々と!私が追い掛け回している他にもたくさん 苦労されてたみたいですよ、悠里先生は!」
「・・・・」
「その頃と比べてたら、なんだか5年前の事を思い出してね・・・笑いが、止まらなくて。良かった方丈くんとか来なくて」
「どうしてそこから笑いに繋がるんだ・・・ああ、P2は確かにやっかいだな、A4以上に」
「大丈夫、大丈夫!根はきちんといい子ばっかだし」
「ひねくれてて悪かったな・・・・!」
「2回も謝らなくていいってば。私は皆に会えてよかったって思ってるし、B6はそこがいいんだよ」


なんだか居心地がすごく悪いのは気のせいだろうか・・・。
副担は笑っているし、さっきまでの杞憂は本当になんだったのか。 俺は微妙に視線をはずして、職員室の天井の方へ視線を彷徨わせる。


「色々あったけど、翼くん、いや、真壁先生」
「な、なんだ。もう文句は聞かんぞ、先生」
「・・・ありがとう」
「Why?俺はなにもしていないぞ」
「永田さんから聞き出したよ。翼くんが聖帝の為にわざわざここへ戻ってきてくれたって」
「(永田め・・・余計な事を・・・!しかも聞き出したって・・・)」
「本当に、感謝してるよ」


突然の感謝の言葉に俺は詰まった。言葉もそうだが、胸もぐっと詰まった。真剣な表情の彼女を見て、浮かんできた この感情が何を意味するかは分からない。
・・・今は、まだ、分からない。俺は、聖帝を守りたくて、ここに戻ってきた。確かにそうだけれど、それだけではないということ をこの人に伝えなくてはいけないと、思った。





「副担・・・・あの、俺が、この聖帝に戻ってきたのは、だな」
「・・・うん?」


キーンコーンカーンコーン!!!キーンコーンカーンコーン!!!


「あ、授業終わったみたいだね。あ、んで、翼くん。なんだった?」
「・・・・なんでもない!授業の準備があるんだろう?ほら、早く行くぞ!」


無駄に力強く鳴らされたチャイムに邪魔をされたが、今はまだ言わなくてもいいか、と思ったら気が軽くなった。 ・・・・気もする。残念な気もするが。俺はまだこの気持ちを伝えるのはまだ怖いのかもしれない。
いつか、いつか、と思いながらも元気に前を駆けて行く副担の姿を見ていると、そんなことは今はどうでもよくなってきて しまうのだった。






境界線は、まだ
「ふーっ、いい仕事したなぁ(きらん)」
「おい、那智。授業がまだ残っているというのになんで教室を飛び出した?」
「んー、あー、兄さん。トイレ行きたくなっちゃってさー、ごめんごめん。あはは」
「・・・・?まぁ、今度からは気をつけろよ」
「(しっかし真壁先生もかー・・・めんどくさいことになったな)」



那智は 力いっぱい チャイムを鳴らしに 走った!(という裏話)

(090423)