バカサイユが取り壊されて、代わりにアホサイユという建物が出来たその年の話。 翼が『あんな美意識の欠片もない建物なんぞ取り壊せ!』と喚いていたのを草薙は思い出す。 自分にはどっちも似たり寄ったりな気がするけれどそれは言わずにおく。 そんな事もあり、この聖帝学園に再び舞い戻り、特別講師として教鞭を振るったこの1年、とうとうこの日がやってきた。 そう、この日は、1年で一番危険な日であり、それでいてドキドキとわくわくを重ね合わせた、そんな日なのである。 (悟郎に『ハジメのその表現、ふるーい!』なんて言われたが) そんな中、浮かれもしないで、ただ頭を抱えて机にうっつぷす特別講師が1人。 今をときめくヴィスコンティのシュン―――、七瀬瞬。5年前にB6として名を馳せていた時の仲間であり、 草薙にとっては大切な友人の1人であるが、そのカリスマ的なオーラは今はなりを潜めている。 「…はぁ」 「なんだなんだ〜?瞬。ため息なんてついて」 「いや…今日はバレンタインだと思ってな」 「ポペラ分かりやすーい、シュンてば!」 「なっ…なにがだ!別に俺はそんな…」 「隠さないでいいよ〜!ゴロちゃんたちには全てお見通しだよ☆ね、ハジメッ」 「あ、ああ。まぁなぁ・・・」 このこの〜と言いながら瞬に迫る悟郎を見ているとどう見てもカップルがいちゃついてる様にしか見えない、と 傍で見ていた草薙は思ったけれど、それはどう考えても瞬は不気味な事を言うなっ!と叫ぶに違いなかったから 、大人しく黙っていた。 いつもは自分の周りに悟郎がいるもんだから、勘違いという恐ろしい事になる。 そんな微妙にむなしい気分に七瀬にはなって欲しくない。…とは言っても彼の想っている相手は悟郎が男である事 を知っているので、勘違いはないだろうと思うが。 きっと彼女の同行が気になって仕方がないのだろう。・・・まぁこれは学生時代の時から繰り返されている事であり、 その事は、実に5年もの間、片想いが続いている状態であるということである。 あの瞬がねぇ・・と高校3年の4月初期の事を思うと、なんとも微笑ましい事だ、と自分の事を棚に上げて草薙は思った。 その時、ドアが大げさに開いて、両手を広げて酷く偉そうな態度で入って来たのは翼だった。 「おい、一。今年はこのポーズで行こうと思うんだが…」 「ああ、それまだやってたのかー・・・。今年は趣向を変えるのも悪くないんじゃないか?」 瞬は変わったような気がするが、この若社長は変わらないな、と在籍時代から自分の等身大チョコを配っていた 真壁にさりげなく今年は拒絶するようにアドバイスをした後、草薙は笑った。 ◇◇ そして、放課後。授業を終えてドアを開けて部屋に入ると、そこには朝を同じように頭を抱えた瞬の姿。 横には積み上げられたチョコの山。草薙と風門寺は顔を見合わせた。 「シューン…!どうだった〜?なんか、良い事あったかなー?」 「バレンタインなんて…一生来なくていい…」 「やだ、そんな落ち込まないでよ!パラッペこの辺空気重いよ…」 「しっ!言うなよ、余計重くなるだろーがっ」 慌てて口の前に人差し指を持っていくけれど、もう遅い。 どんどんと空気は重く、どんよりしてきた。 「…おい、悟郎!お前が追い撃ちを掛けるから…!」 「た、確かに、ちょっと悪い事しちゃったかな…あんなに凹むなんて思わなかったんだよ」 「とにかく何とかしないとな!」 「えーとシュン?センセにはなんて?」 「今日、放課後に声を掛けられたんだ」 「良かったなぁ、…でもあれ?それなら・・・?」 「そうだよな、草薙!普通は期待しても良いだろ?!!なぁ!」 「お、おお落ち着け!」 「きゃー!ハジメが!」 がくがくと揺さぶってくる彼を必死で止める草薙と風門寺である。 後ろから羽交い締めにして止める風門寺は、草薙とアイコンタクトを交わしてから深く頷いた。 もう一度落ちついて聞く事にしたのである。ただし、距離を取って。 七瀬は常識人なゆえに一度暴走しだすと止まらなくなることが多々あるから。 それは、ヴィスコンティのシュンとしての活動をして、海外を飛び回り、彼曰く、大人になった、と言っている 状態でもまだまだ発動するものだ。 そんなこんなで、 細心の注意をしてもう一度「何があった?」と聞いてやると、七瀬は 瞳に涙をためながら(可憐な女性だったらぐっときただろうが、なんにせよ相手は男だ。ぐっとくるもなにもない) 聞いてくれるか!と詰め寄られて、返事も聞かずにぽつりぽつりと話しだした。 ◇◇ 「あ、瞬くん。ちょうといい所に!」 「せ、先生か!どうかしたか?」 「あれ、瞬くん。ちょっと顔が赤いけど、大丈夫?特別講師だっていって無理してない?」 「ああ、大丈夫だ、問題ない」 「それなら良いけど…」 「それで何の用だ?」 「瞬くん調子悪そうだから、他の子に…」 「いや?!大丈夫だ」 「ちょっと、本当に?」 「大丈夫だ!」 「ええと…じゃあちょっと込み入った話になるんだけど…」 廊下の隅、人気のない所まで行ってちょいちょい、て手で呼ばれる。 こ、これはまさか…!?夢にまで見た…!身長を合わせて小声で囁く彼女に近付き耳を傾ける。近い…すごく近い…! 自分から近付けたはずなのに、緊張している。ドキドキと鼓動が波打って、心臓が胸をぶち抜いて出てきそうだ。 …実際そんな事になったらホラー以外の何物でもないが。 なんとか心臓を押さえて落ち着かせる。口を寄せた彼女が囁いた言葉は…、 「…〜、〜ーー、〜〜?」 一瞬思考が停止した。頭が真っ白になった。 言葉が頭の中を掛けて、くるくると回っている。それを一回振り払う。 「悪い、先生。もう一回言ってくれないか?」 「もう!本当に大丈夫?無理しないでね」 再び近付いた距離だったけれど、もうときめくことはない。いや心の隅ではまたドキドキし始めているが、 それは無視して。一旦回転がストップした頭を動かす。 「実はね…、」 ◇◇ 「A4の阿呆の化学式の理解度が低いから、理事長に知られる前に補習をして欲しいって…」 「うわぁ…センセってばこんな日になんて事を…」 「いたいけな青少年の心を…くぅ、痛すぎる!」 という訳で撃沈な訳である。3人の周りが格段と重くなった。 その時扉が静かに開けられた。瑞希かと思えばまさかの清春の姿。しかしいつもは元気 すぎるその姿はなく、心なしか身体が傾いている。 致命的なダメージを負っている…清春があんな風になるなんてありえない。一体なにがあった…!?と風門寺 と草薙は身体を震わせた。 七瀬は依然として机にうっつぷしたままなので、残念ながら見る事は出来なかったが。 清春はそのまま、瞬が座る机へ近付きそっと椅子を引いて座り、そしてやっぱり頭を抱えてうっつ ぷした。…空気が倍重くなった。 「ど、どーした?!清春!」 「あいつのお願いって…そゆことかヨォ…、因数分解なンて滅んじまえ…」 ここにも期待した者が1人。七瀬といつもは掛け合いじゃれあいの喧嘩を仕掛けているはずの聖帝の小 悪魔と言われた彼もまた今日という日だけはさすがに過剰に期待していたらしい。 …悪魔も人の子だったみたいだ。いつもなら七瀬のこんな姿を見たら指を指して笑うだろうに、そんな元気もない。 …草薙と風門寺はそんな二人をそっと見守るしかなかった。 ◇◇ 「あれ、瑞希、いつの間に戻ってたんだ?」 「大変だったんだよーというか現在進行形で!」 「ふふ…先生のチョコを貰うのは、このぼ、く…」 「うわぁあ!ここにもいたよ。ミズキってば」 「時代は逆チョコ…だから用意した」 さっきまでいなかったのに、いつの間にかソファーに寄りかかって寝そうになっている瑞希がいた。 ちょこんと手に乗っているのは、小さい箱。きっと中にはチョコが綺麗に並べられて入っているに違いない。 やはり時代は逆チョコか!?まさかの伏兵出現に唖然とするB5。 そういや翼は毎年逆チョコだった。あのような特殊な形状をしている為、どうもチョコという発想が消 えてしまうのだ。いやしかし…なるほど、翼のあの行為は時代を先取りしていたのか…。 うんうん、と頷く草薙の隣で、風門寺はため息ひとつ。 「あのさぁ、ハジメ…それは違うと思うよ」 ◇◇ その頃ひとつの影がB5の元へ向かっていた。手にはなにやら箱を持っている。 「遅くなったけど、まだ皆いるかなぁ…」 扉を開くと中には5人の人影。あれ、一人足りない。でもまぁ時間も時間だし、渡してしまおう。 入ってきた事に気がついたのは一くんと悟郎くん。ぱっと目があって、途端に目が開かれる。 「せ、先生…!まさか」 そのまさかである。手に持った箱はきっかり6つ。草薙は机にうっつぷし組(七瀬、仙道)に叫んだ。 「おーい!先生がチョコ持ってきてくれたぞ」 机にうっつぷし組はそれを聞くなり、途端に顔を上げて椅子を勢い余って倒した。彼女自身はなんだか微妙な顔をしているのが気になるけど、 なにはともあれもらえるというなら良かったと見守り組(草薙、風門寺)は胸を撫で下ろした。 「…あれ翼くんは?」 「多分奥でチョコ作ってる…毎年恒例のやつ」 「あぁ、あれか…毎年空輸してまで送ってきてくれるのよね…」 「悪い先生。一応毎年止めてみてはいるんだけどな」 「…今年も絶賛製作中、みたいだね」 「まぁまぁセンセ!ツバサの事は置いといて。…それもしかしてバレンタインチョコ?」 「あぁ…そうだけど。みんな分」 風門寺は喜びの表情を浮かべて2人を見た。軽くジャンプして清春の肩に飛びつけば 「おい、コラ…!だぁぁあっ、ウゼェ、離せッ!」酷い言葉だ。さっきまで落ち込んでたくせにーと唇を尖らしたが、力 を取り戻した小悪魔は止まらない。 「じゃあ、1人ずつ・・・はい」 「あ、ありがとう・・・・」 念願のチョコを手に入れて、何とも言えない満足そうな笑顔を作る七瀬であった。 それは仙道も草薙も風門寺も同じことで。もちろん瑞希は用意しておいたチョコを渡して、交換していた。 からのチョコはきっと美味しいだろう。普段の大雑把な性格の割に、こういう事は割と上手くこなす彼女である。 期待してもいいだろう。B5の目はキラキラと光っていた。 「じゃあ、開けてもいいか?」 「あ、」 何かを言おうとしたを置いて、5人は一斉に開けた。 そこにはチョコが入っているはず、だった。・・・・・・・・・・・・・チョコ? 5人は一斉に開けたチョコの箱の蓋を無言で閉めた。 「「「「「・・・・・・」」」」」 「・・・・黙らないで」 「っなんだァ、これッ!!ま、さかアイツのじゃねェよなァ?!」 「なんで?!こんなところにこれが・・・!?も、もしかしてチョコに見せかけたウニとか・・・」 「馬鹿っ!悟郎、現実から目をそらすなっ!逸らしたら終わりだぞ」 「・・・悲しい。食べ物の暴力・・・・くすん」 「色々な意味で目が覚めた気がする・・・俺は何を・・・」 「・・・なんだ、どいつもこいつも騒々しい!オレのスペシャルなチョコレートの製作に専念できん!」 「うわぁああ、翼!こっち来んな!」 「来たら死ぬぞッ!マジでヤベェ・・・!」 「WHAT?!俺だけ仲間はずれとは!見損なったぞ、一、清春!」 「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」 「ツバサ!こっちに来たら後悔するってば・・・!」 「なんだ、悟郎まで。この箱は・・・?俺に?本当か副担!まぁ貰ってやらんことも・・・」 「・・・貰ったら最後・・・見ない方が・・・うん」 「真壁、考え直せ。今ならまだ戻れる」 「瑞希、瞬。独り占めは許さんぞ。どれどれ。・・・・・・?!」 すたすたとモデルウォークを華麗に披露した真壁は、箱を持ち上げて蓋を取って中を確認した途端に、フリーズした。 しばらく硬直した後、わなわなと震え出した。口を何度かパクパクさせて何かを喋ろうとして失敗している。気持ちは 分かる、すごく、とても痛いくらいに。 そうしてようやく絞り出した言葉は。 「なっんだこれはぁああああ!!!!」 「実は、私の自宅に南先生からチョコが届いて・・・みんなの分も・・・」 「「「「「ひぃいい!」」」」」」 「それで感想が欲しいから、感想のレポートを空輸するようにって頼まれちゃって」 「「「「「「・・・・・・・・・」」」」」 「それで・・・・私からのバレンタインデーの贈り物なんだけど・・・これ」 ことり、と静かな音を立てて机の上に置かれた待ちに待った彼女からの贈り物は。 「・・・・・胃薬」 泣いてもいいか?と七瀬は思い、そうして心の中で涙した。 バレバレ、レインデー! 受け付けた中でも一番多かったです、七瀬。そして例のごとくまたそういうオチ。 (100217) |