「おかしいおかしいおかしい・・・!」


こんなことを呟いてどしどしと歩いているのには訳がある。
その日オレは首を傾げながら廊下をぺたぺたという音を立てながら歩いていた。 ぺたぺたというのは、オレが廊下を裸足で歩いているから。廊下はひやりとして湯上がりの身からし たらとても気持ちが良い。そう思うのもオレが風呂上りの身で身体が暖まっているから 言えることである。実際オレも、風呂に向かうまでは寒くてしょうがなかった。 風が髪を弄ぶように吹く今日はかなり寒い日だ。 片手でまだ濡れている髪を押さえつつ、自室までの道を歩く。
風が強くなってきたので、早く自室に戻ろうとした時、ふいに前から人の気配を感じた。 どうやら何かを話しているらしい・・・と、思って角を曲がった途端月明かりに照らされた 2人の影が映った。1人は・・・・千鶴だ。千鶴と誰かが抱き合っている!


「えっと、あの・・・すみませんでした。ありがとうございます」
「・・・!」


慌てて今来た廊下の角で耳を済ませてみる。思わず隠れてしまったが、 どうやら2人には気付かれてはいないようだ。千鶴が幹部連中にようやく慣れてきた頃で、 オレ自身も少し千鶴に関心を持ち始めたくらいになってきたのにさっそく手を出す奴がいるとは・・・。
やはりここは確認をしておかなきゃいけない、と自分で自分を説得して耳を澄ませてみる・・・。 しかしいくら耳を澄ませてみても、声は聞こえてこない。途切れ途切れに聞こえるのは千鶴の少し焦っ た様な声だけである。このままじゃ埒があかないと覗き込んだ意外な人物の姿が目に飛び込んできた。 オレと同じくらいの背丈で、髪を結い上げている奴の名前は・・・かなり意外すぎる奴だった。




―――、新撰組の幹部の補佐についている男だ。
実をいうとオレはこの男のことをよく 知らない。わりかし誰とでも話し、打ち解けることのできるオレだけど、どうもこの男のことに 関しては苦手という印象しか持っていなかった。
外見に関しては特に言う事もない。 髪は一くんと同じくらいの長さで、1つにしばっていて・・・とまぁそんな見ればすぐに分かるような ことぐらいだ。補佐というだけあって剣の腕は確かで、稽古の様子を見ていると幹部でも 驚くような攻撃をかましてきたりして、なかなか侮れない奴だと、左之さんや新八っつぁんたちと 話したこともある。
オレなりにそこそこ興味を持っていたわけだけれど、それでも 彼とは交流がなかった。何故なら、彼は、めったに喋らない男だったから―――。


オレはめったに喋らない、というか彼が話しているところを見たことがない。 どんなに話し掛けても彼は首を横に振るか、縦に振るかしかしなかった。無口なのだろうか、 とも考えたけれど、頑なに口を開こうとしないのはどう考えても変だ。 そんなわけで、オレは彼との交流を断った、というよりはどうしてよいか分からなかったから自然に 離れていった。
稽古中、仕事中、食事中、一度も声を発した事のない(少なくとも俺は聞いていない)なんて 可笑しいだろうとは思うが、なにより可笑しいのは今この状況だ。
そんな男が千鶴を抱きしめている?!オレの頭はもうパンク寸前だ。 なんだか身体まで冷えてきやがった。どれだけ動揺してるんだよ。なによりも、そんな 男の腕の中に千鶴がいたことが驚きだった。


「(なんなんだ、今の・・・!)」


ぶるっと震えたのはきっと寒さだけのせいだけじゃない。でもこの寒さを消してくれるのは、風呂だけだ。 どうせ、もう皆が入ってしまった後だろうし、もう1度ゆっくりと浸かって暖まって寝よう。 そんな訳でオレは来た道を引き返しもう一度風呂へと向かったのである。




ちゃぷん、とお湯がはねる音を聞きながら、オレは湯船に浸かっていた。先ほどの衝撃的な場面が 頭から離れない。別に、オレが女関係に疎いから驚いたということではなくって、あの男がそんなことを していたということに驚きがあったのだ。もちろん、千鶴が相手と言うことにも興味がある。
ぐるぐるとしてきた頭の働きをしっかりさせるように、頭を振ると髪についた水滴が飛んだ。 千鶴はそんなこと一言も言わなかったし、もちろんとなんてあまり面識もないはずだ。 だからこそ、何で?という思いが消えない。そして失いかけてたへの興味も湧き上がってきた。
よし、ここは思い切って明日聞こう。はまたあの仏頂面で首を振るだけなのだろうけど。 この結論に達するまで実に1時間も経ってしまったみたいだ。すでに屯所内は静けさに包まれている。


そろそろ寝ないと明日の巡察に寝坊しちまう、とざばーっと湯船から立ち上がって、 一歩目を踏み出そうとした時、オレの頭がくらりとした。
そうだった、今日風呂に1番最後に入ったのは新八っつぁんだ。あの人かなり熱い湯が好きだからなぁ。 男なら、42度とか言ってた気もする。オレはそんなに熱い湯に長い間入れない。それなのに 今日は千鶴とのことを考えすぎて、長い時間入っていた。 あ、ヤベ、のぼせたか?!と思い、また湯船の中で膝をついたまでは良かった。 だがその次の瞬間に、オレはあっけなく意識を失った。 どんなに稽古してもこういうことばかりはどうしようもない。稽古しようがない。







頭がぼやーっとする・・・・白くもやが漂っている気がする。オレはそろりと目を開けた。
誰かがオレを覗き込んでいる気がする。はは、まさかな。こんな時間に風呂に来る奴なんて・・・。


「・・・・」
「・・・・」


お互いの視線がぶつかり合ったが、無言だった。向こうはオレが目を開いた事で、多少首を傾げる ようにして動かしたが、あいにくオレはなんの動きも見せることが出来なかった。
なぜなら、風呂で無様に倒れていたのを発見したのは、、本人だったからだ。 穴があったら入りたいというのはこのことか!むしろ、風呂の中に潜ってしまいたいくらいだった。


「えっと、オレ・・・・!」
「・・・・」


超気まずい!かなり気まずい!かつて今までにこれほど気まずいことなんてあっただろうか、いやない!

慌てて、立ち上がろうとしたが、湯船に持たれかかっていることと、自分が今どんな格好かに気が付いて さすがに立ち上がることは止めにした。するとはこちらに向かって手を伸ばしてきた。


「な、なん・・・!」
「・・・・」


オレの頬に手をやったのだ。ちょうど挟むように。そして極めて自然に。
思わず後ずさりしようとしたら、頭の上からなにか冷たいものが落ちてきた。 冷やした手ぬぐいだ。
・・・これは、まさかのぼせてるオレのために?
しかし言っておくが向こうはいつも通りの格好でオレは全裸というかなり怪しい構図だ!
しかし夜の気温でひやりとするの手はなぜか思ったより心地よく感じられた。それに、あまり 思ったよりごつごつした手ではない。あんなにいつも刀を振るっているのに・・・って待て待てオレ! 相手男だから!のぼせてちょっと混乱しているのだろうか。慌てて、手を振り払う。
するとは無言で指を下に指し、手ぬぐいを渡してきた。どういうことだ。


「・・・」
「・・・へ?な、なに?」
「・・・」
「・・・?隠す?・・・・ってああ!」


そういえば、全裸だった。風呂の中に居るわけだから、向こうからは見えないだろうけど。 一応男としてのメンツというものがあるかと思って、渡してくれたのだろう。 慌てて受け取るとはこくん、と首を縦に動かした。
そして脱衣所の方に歩いて行く。・・・・それを大人しく見ていたオレだったが、途中ではたと 気が付く。そうだ、さっきのことを聞かなくては!ここで引き下がったら、左之さんと新八っつぁんに 大笑いされるどころじゃすまないだろう。急いで手ぬぐいを腰に巻き、風呂から上がり、の 後を追う。


「ちょ、ちょい待った・・・っ!」
「・・・?」


脱衣所へと続く扉に手を掛けていたは振り返った。髪が綺麗に翻る。そういや、髪を結い上げていない。もしかして風呂に入るつもりだったんだろうか。 不思議そうな表情の彼に、オレは問いかける。


「あ、あのさ!って・・・千鶴のこと好きだったり・・・すんのか?」
「・・・?」


首を傾げられた・・・と、その後になんと、こくりと縦に1回頷いた。
ま、まさかこんなに簡単に頷かれるとは思ってもみなかったオレにとって、予想外の展開だった。 素直というか単純というか・・・焦るオレを尻目に、は言いたいことはそれだけかというようにオレの反応を 待っているようだ。


ってあんまり、人と話したりしないじゃん?だからなんでって思ったんだけど、余計なお世話だったな!ごめん、忘れて!」
「・・・」
「オレ、応援するからさ!頑張れよ!」
「・・・・・多分、君が言うような好きじゃないと思うけど」


ぽつりと、落とすように言われた言葉。あまりに突然で、反応できなかった。それはオレがの声を初めて聞いたからだということもあった。想像してたよりずっとトーンが高く澄んだ声が風呂に響く。
これは男の声というよりはむしろ・・・、


「まさか、お前・・・!」
「あー・・・喋るの初めてだよね、藤堂くん」
「喋るもなにも、お前喋らない奴だったじゃん!それがまさ・・・」
「絶対こうなるから黙ってたのに。はぁ・・・バレちゃったか、というかバラしちゃった感じだね」
「ななな、なんで女なのに・・・!」
「ここにいるかって?・・・誰だって守りたいものはあるよ。それが女であっても男であってもね」


絶句して固まるオレの前で、は腕組みをして、はぁ、とため息をついた。駄目だ・・・今まであまりに無表情で、話すところなんて見たこともなかったから すごく不自然だ!
それにオレ、なんで今まで気が付かなかったんだ?声を聞かなきゃずっと男だと思っていたに違いない。 こんなときばかりは、さすがに自分の鈍感さが嫌になる。 そして、もうひとつ失念していた。自分の今の格好を。そして今までの自分の行動を。


「ぎゃぁああああ!ちょ、!お前早く出てけって!頼むから」
「なんなんですか、まったくさっきから呼び止めたり、出てけって言ったり・・・はぁ、忙しい人ですね」


オレの叫び声は屯所内に響き渡った。
はというと、そんなオレを迷惑そうに見つめていた。






君にしか見せないから
「だから見てないですって」
「つーか、お前なんでそんなに冷静なんだよ!」
「だって見てないですからね」









(090117)