「な、こっち向いてくれ、


艶めいた掠れ声が聞こえた。
耳元で囁かれるそれはとても酷く甘い。
絡めとられるように両腕が後ろから回されて、ぐっとそちらへ引き寄せられる。 傍から見ればその空気、雰囲気。包まれた空間は、甘い甘いそれに見える。
しかしその甘い状況とは逆に私の頭はかなり厳しく冷静にそれに接していた。
頭を働かせて思い起こして見れば、


そう、この状況、どっかであったぞ、と。










ひしひしと伝わってくる体温と共に酒の匂いがする息を纏いながらも、 その色気は衰えることなく増幅しているようにさえ見える。恐ろしい男だ。ほんとに。
そんな彼を必死で振りほどいて、彼の麗しい顔に傷を付けたのも(私が付けたんじゃなくて、その、間接的にね!) まだ新しい記憶だ。

いつも屯所内で馬鹿騒ぎをする三人は今夜もまた酒を飲みに夜の島原へ繰り出したはずだ。 それなのにまたしても原田さんだけが帰ってきて私にちょっかいを掛けている訳で。

まぁ、寒さも大分和らいだからと薄い布を巻きつけながら、また満月を見ていた私も悪いと言えば悪いかもしれないけれど、何故こうも 遭遇率が高いんだろう。不思議だ。
というか何故三馬鹿から一引いた残りの二人はちゃんと見張っていないんだろうか! こうなる事は分かっているはずなのに!
・・・・・・・・まぁ原田さんがこれだけ酔っぱらっているという事は永倉さんと藤堂さんは 今頃屯所の中庭ででも寝ている様な気もするけれど。


絡められる腕はぎゅっと私と原田さんを密着させる。
私はと言えば、温かいお茶を零さないようにぎゅっと湯呑を握る。
これ、原田さんの顔にかけたらどうなるかなぁーなんてのんきに考えられるのはこれが二度目だからに他ならない。 一回目の積極さとは違い今回は緩いから、まだ穏便に済むのではないか、と考えている今現在。
原田さんの顔に傷が付かないのならば、それでいい。と、考えた私はすごくすごく甘かったんだろう、うん。



「こっち、向けって」
「・・・・・」



再度催促するように吐かれる言葉は、吐息混じりで本当に勘弁していただきたいほどの色気だ。 そしてさらりと、原田さんの髪が私の肩に当たってくすぐったい。
いや、でもここで振り向いたらどうなるのだろうか、いや、絶対前回と同じくそうなるに違いない。
ああ、誰か気が付いてこの酔っぱらい色気むんむん原田さんを回収してくれたらいいのに!
土方さんとか斎藤さんとか!ああ!と声にならない悲鳴を心の中で押し込める。



「あの、原田さん?夜も更けてきましたし、そろそろお戻りになった方がいいんじゃ?」
「ったく、・・・・つれねぇ事言うんじゃねぇよ」
「はぁ・・・・・あの、」



さりげなさを前面に出しながらそう促して見るも、腕は外れず、その代わり原田さんの顎が私の肩に乗せられた。 あれっ、前より大変な事になってないか?あれ?
落ちつく為にずずっとお茶をのみ込む。すっかり冷めてしまったお茶は私の身体を冷やすのに、 それでも背後からの熱が、それを許さない。
湯呑を握りしめるも、入っていたはずのお茶はもうない。 前にまわっていた原田さんの指が私の顎に掛かる。そしてそのまま後ろへ頭を回される。
・・・・・・・・・・・・・ん?ちょ、この人は何をしようとしているんだ?!



「ちょっと黙ってくれ、」
「・・・・・へ?ちょ、な、なに」



その怪しげな雰囲気と酔っぱらい特有の空気が去り、すっと真顔に戻る。怖いくらいの表情に 背筋がすっとした。げ、また目がすわっている・・・・!

思わず持っていた湯呑を大きく掲げて原田さんの頭へ振り下ろす。我ながらナイス力加減!
その衝撃で原田さんはあっけないとも言える簡単さで、意識を飛ばした。 顎に掛けられた手は外れて原田さんの頭は私の肩へ、というか原田さんの全身が私へとのしかかる。
お、重・・・意識のない人間ってこんなに重かったのか・・・!
というか原田さん死んでないよね?自分でやったことだけど、ここまで簡単に意識飛ばされると逆に焦る。 逆に言えばすぐ意識が飛んでしまう所まで飲んで、意味不明行動不明な事になっていた訳だけど。



「は、原田さーん?」
「・・・・・・・」
「うぐぐぐぐぐぐ、おも・・・重い・・・・っ」



べたりと床に這いつくばる私はさぞ不格好だったことだろう。
しかしこの時間誰も通りかかる人はおらず、門の方から二馬鹿が帰宅して騒いでいるような声がここまで飛んでくる。 お前ら潰れてなかったんかい!と言いたくなるほどの騒ぎ様に、人が動く音がする。
そっちの対応で土方さんと斎藤さんはそっちへ行ってしまうから、ますますどうしようもない。 と、そこで前の廊下を歩く人影が見えた。



「あれ、ちゃん。そんなところで何をやって・・・・」



・・・・・・最悪の遭遇だ。顔がおもわず青くなってしまうのも仕方がないと言えるだろう。 そこまで言って言葉を切ったのは沖田さん、その人だった。
口の端をゆっくりと上げて笑う沖田さんは盛大に勘違いというか!面白そうなもの見ちゃった!みたいな 輝く目をしていた。
これでは助けてもらうどころか、大変な事になる。 まぁ沖田さんに見つかった時点で、もう遅いけど。もう大変な事になっちゃったけど。



「ちょ、沖田さん、違いま、」
「ううん、いいのいいの!頑張ってね〜」
「た、助けてください〜!沖田さ、待ってくださいよ!助け、」



ひらひらひらーと力なくゆるい様子で手を振りながら門の方へ向かっていく沖田さんの後ろ姿はとても生き生きして見えた。
それと同時に力が抜ける。はぁ、とため息を吐いてずるずるとゆっくりだが確実な方法で原田さんの下からはい出る。 ちょっとずつ動けば抜け出せない事はない!
というのは素人考えだったようで、全て抜け出す頃には門の方の喧噪も納まった頃だった。 原田さんは意識を飛ばした時よりも落ちついた呼吸で穏やかな寝顔になっていた。



「ふぅ、ようやく抜けた。よいしょ・・・・・・・っと」
「・・・・・・・・・・」



私が抜けたことで完全に廊下で寝出した原田さんを壁によっかからせて、一息つく。
やれやれ酔っぱらいの世話って大変だなぁと思いながら立ち上がる。 もともと世話好きでもなんでもない私は千鶴と違って対応も分からないし、酔っぱらいに何をしてやればいいのかも 分からない。
とりあえず自分が纏っていた布を原田さんにかけて肩まで上げてやる。 ないよりかマシだし、気候も穏やかになってきたから大丈夫だろう。 大人しく寝ている姿も麗しいのは本当に眼福だ。というか動かなきゃ緊張しないのになぁ。

そんな事を思いながら先ほど自分が殴った所に手を持っていき、そっと撫でる。 目立つようなたんこぶは出来ていなさそうだ。
その事にほっとした私は、おやすみなさい、と小さく呟いてそこを後にしたのだった。














撃ち抜かれた狼は
「左之さーん、もう行ったよ、ちゃん」
「・・・・・・・・総司、気付いてたのか。ってなににやにや笑ってんだ?」
「んーん。頑張ってるなぁと思って。でも左之さんでも上手に行かない事ってあるんだね」
「ほっとけ」







「悪い狼に食われる前に」の続編です!ご要望ありがとうございましたー!
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