ホグワーツに特別愛着なんて持っていない。けれど月夜の湖は、単純に綺麗だと思った。
別に今まで気にしたことなんてなかったけど、そのときはきっとこの景色が世界で一番だと思えるような景色だった。
その真ん中に立っていた彼女が幻想的で思わず見惚れて、一瞬夢かと思った。視線が合って、動けなくなった。
でも言葉を発した彼女は杖も魔法も知らないマグルそのもので。
見とれた自分に腹が立って、同時に彼女に対する怒りもひどくなった。
城に来て魔法使いだと解って、見とれた自分への恥が少し和らいだ。
けれど無知な彼女は傍から見たらとてもマグルらしくて、どう接するべきか解らなかった。
そして、彼女はスリザリンを選んだ。
顔立ちも表情も幼くて解りやすくて、考えは単純そうに見えて意外とそうでもない。今の印象はそんな感じだ。
曖昧なところが多くて時々イライラする。はっきりしないのはお国柄なのかもしれないと思った。
しかしそれでいてこっちの一枚上を行くような余裕があって、更に掴み所を与えない。近くにいても遠くに感じる不思議な存在だった。
多少の皮肉や罵声なら笑って流す。でもそれは臆病というより、もっと違う印象を与えた。
彼女のそんな態度を見ていると、まるで自分が彼女よりもとてもちっぽけな存在に思えてくる。
あの時もそうだった。杖を向けられ対抗のしようもなく、地面に倒れる彼女を見ても、それを見て笑う気にはなれなかった。
むしろ彼女に杖を向けるパンジーの方が滑稽で、必死で、幼稚な人間に見えた。
懐が広いというのか……良くも悪くも、彼女は精神的に大人なんだろう。
だからこそ、彼女を見ていると無性にイライラする。
「ダンスパーティ?」
丁度昼を回ったころ、大広間への入り口近くでそんな彼女の声を聴いた。
無意識のうちに視線を上げてその声の主を探す。すると扉の脇にその小さな背中を見つけた。
それと同時に、彼女と向かい合う2人の男が視界に入った……途端、眉根を寄せる。気に入らない赤色が、さっと視界に飛び込んできた。
「知らないのか?今年は三校対校試合の伝統で、クリスマスにダンスパーティが開かれるのさ」
「へぇー。あぁ、だからあっちこっちで修学旅行みたいな告白大会が勃発してるのね」
「女子は特に浮かれてるからな。君はもう誰かに誘われた?」
彼女にそう問いかけるのはグリフィンドールのあの鬱陶しい双子だった。
教科書を抱えた彼女が片手を上げて「まさか、」と首を振る。表情は見えなかったが、その声は親しげだった。
「そんなパーティがあるってことも今の今まで知らなかったんだよ?それにドレスとか持ってないし」
「ま、それもそうだよな」
「ダンブルドアにおねだりしてみろよ。案外ホイッとくれるかもしんないぜ?」
「初孫喜ぶじーさんみたいにな」双子の1人がそう言って、3人は笑った。その笑い声が、異様なほど耳につく。
「でも、ダンスパーティかぁ……ちょっと行ってみたいかも」
「ま、が会場にいたら確実に下級生と間違われて追い出されるだろーな」
「ひっど!」
広間へと足を進める度に、その会話も笑い声も段々と大きく聞こえてくる。
妙な不快感が全身を包んでいく。その会話が、耳障りで仕方がない。
「おっと、フレッドそろそろ行くか」
「そうだな。、もしドレスローブが手に入ったら俺らと踊れよ」
「スリザリンはお前らのような連中とは踊らない」
あと数メートルの位置まで来たとき双子のそんな言葉が聞こえて、思わず彼女が何か言う前に口をはさんだ。
3人が同時に振り返り、双子が瞬時に表情を歪ませる。その顔すら気に食わなかった。気分を害したのはお前たちじゃない、僕の方だ。
「盗み聞きか?お呼びじゃないぜ、マルフォイ」
「安心しろよ、お前なんかダンスにゃ誘わないって」
「ウィーズリー家にまともなドレスローブを買う金があるとは思えないが?お呼びじゃないのはそっちじゃないのか」
「なんだと……」
「ロン・ウィーズリーのローブを見たぞ。一家全員でレースをヒラヒラさせて踊るらしいな。記念に写真屋を呼んでやろうか?」
鬱陶しそうにため息をついていた2人が、その言葉で目の色を変えた。
ふん、と鼻で哂って睨み返すと、双子は怒りで肩を震わせている。その姿を見て、原因不明のイライラが少し落ち着いた。
それなのに、
「ドラコ、」
双子の後ろから進み出た彼女が、諌めるような口調で僕の名前を呼んだ。
その表情も、声も、さっきまで談笑していた彼女とはまるで違う。眉を寄せ、悲しそうな表情で首を振った。
「もうそれ以上言わないで」
「っ……君が……!」
かっと頭に血が上っていくような、そんな熱を感じた。
再び、苛立ちが膨れ上がる。その目が、声が、すべてが気に食わない。
「君がそんな口を利くな!」
気付いたら、彼女に向かって叫んでいた。周囲も気にせず、ただ爆発させるように。
彼女は一瞬驚いて、そして戸惑うような表情になった。何か言おうと口を開きかけ、それを遮るように僕の口が動く。
「忠告したはずだぞ!僕の傍に……っ、スリザリンにいるならそれに恥じるような行動はするなと!」
「……ただ話をしてただけだよ」
そんなことはどうでもいい。どんな話だって関係ない。
ただ、気に入らない。
そう考えて、何だそれは、と自分でその考えを諌めた。
けれど一度開いた口は止まらず、ただ意味のない言葉を彼女に浴びせる。
「こんな連中と楽しそうに喋って……僕の顔に泥を塗るなと言った筈だ!」
悲しそうな表情。それを見て罪悪感が首を擡げる。それでも喉は言葉を吐き出し続けた。
どう言葉にすればいいかも解らない。
頭にもやがかかったように、ただ怒りだけが体を巡っていく。
「君は何も解ってない!何で……なんで僕がこんなにイライラしなきゃいけないんだ!!」
言い切って、息を吸い込む。ようやく脳に酸素が届いて、肩で息をしたまま彼女を見る。
彼女は驚いたような顔をしていた。目を見開いて、不意を突かれたような表情のままこちらを見つめ返していた。
ぐっと拳を握る。耐えられなくて、踵を返した。
広間に背を向けて、城の外へと階段を下りる。
後ろで彼女の声が聞こえたような気がしたが、振り返らなかった。
「……何だったんだ?あいつ」
「さあ……でも、あれじゃまるで!?」
駆け出したを、双子が驚いた声で呼ぶ。その声にまったく振り返らずに、はドラコの後を追って城を飛び出していった。
呆然と顔を見合わせる双子が、同じくその場に残されて呆然としていたクラップとゴイルにも聞こえないくらいの声で、呟いた。
…あれじゃまるで、嫉妬、だよなぁ。
……そうだ、ダンブルドアに言われたから何だというんだ?あんな奴、さっさと見限って放っておけばいい。
面倒を見る責任も、義務もないはずだ。ただあの鬱陶しい校長に頼むと言われただけのこと。
放りだしたからと言ってなんの支障もない。むしろその方が、鬱陶しい奴から解放されてすっきりする。
見ていて、イライラする。
あの時スリザリンに入ると即答したくせに、他の奴らと妙に親しく話す。
僕に話しかけるときはいつもぎこちなく緊張するのに、あのウィーズリーの忌々しい双子とは楽しそうに笑いあう。
それが、気に食わない。
「ドラコ、」
庭を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。
その声に足を止める、けれど振り返って顔を見る気にはなれなかった。
「……何の用だ」
「…………」
振り返らずにそう言うと、しばらく答えは返ってこなかった。代わりに少しの間の後、土を踏む音が聞こえて、彼女が目の前に立った。
否応なく視線を合わせる形になって、思わず一歩下がって視線を逸らした。
彼女はそれ以上近づいては来ず、その場に立ったまま口を開いた。
「あたし、ずっとドラコには嫌われてるんだって思ってた」
「……間違ってないさ。僕は君が嫌いだ」
「あたしも、ドラコの人を馬鹿にする態度はキライ」
彼女のこんな声は、初めて聞いた。はっきりと、感情の読み取れない声でそう言われて、ぐっと押し黙る。
「でも、医務室に迎えに着てくれたときは泣きたいくらい嬉しかった」
違う。
彼女は泣いていた。僕に気付かれないように一歩後ろで、その手で顔を隠して、少しだけ泣いた。
視線を上げると、彼女と目が合った。
ようやく顔を上げて視線を合わせた僕に、彼女は少しだけ微笑んだ。
「あたしがスリザリンを選んだのは親が魔法使いだからじゃなくて、ドラコがいたからだよ」
「…………」
「ここに居なきゃいけない理由もないんでしょ!?」
あの時、耳に入ってきた言葉。彼女に向けられた言葉が、脳裏をよぎる。
パンジーの言う通りだ。彼女にはここに残る理由も、残らなければいけない理由もない。
けど、困るんだ。
彼女に帰られたら、僕が困る。
「君が……」
「うん?」
「……君が、嫌いなんじゃない」
「…………」
「君の、そういうよく解らないところが嫌いなんだ」
それでも、どこかで彼女のことを考えていた。
手を煩わせるなと言いながらも、彼女がいつまでも大広間への道を覚えなければいいと思ってる。
毎朝彼女が挨拶してくるのが、いつもむず痒くて返事ができなかった。
なのに、そんな僕をよそに平然とおはようを返すクラップとゴイルが妙に腹立たしくて、彼女に挨拶するなと二人を制した。
おはようと声をかけられる度に2人の顔が緩むのが、ますます苛立ちを募らせた。
廊下ですれ違う奴らが、彼女を見て振り返るのも気に食わない。
彼女の名前も知らないような奴らが、彼女におはようと声をかけるのも気に食わない。
それを許容している彼女が、気に食わない。
「遠いのか近いのか……よく解らない」
そう言うと、彼女が驚いたように目を丸くさせた。
「近くに居てもいいの?」
「……そういうズルいところも嫌いだ」
「ほら、あたし実はドラコよりお姉さんだし?」
自分を指差して笑う彼女は、やはり「お姉さん」と言えるほど大人びてなどいない。
横目で睨んでやると、からかうように声を上げて笑った。
顔に熱が上がっていくのを感じる。ようやく自分の中のイライラが消えていく気がして、自然とため息が零れた。
この言葉を使うのはものすごく不愉快ではあるが、…嫉妬していたんだと思う。
きっと僕は、最初から、彼女を好きになっていた。
「居たいなら、勝手にすればいい」
淡々とそう言うと、「素直じゃないなー」と返される。
やっぱり、彼女はズルい。
「あたしはドラコの『マグルなんてみんな死ねー』って考え方とかも嫌いだけど、」
「そんなあからさまな言い方してないだろっ」
「そういう中途半端に俺様なとこは、なんか可愛くて好き」
「……っ!何だそれは……」
彼女の言葉に不覚にも顔が熱くなってしまって、隠れるように顔を背ける。
後ろから忍び笑いが聞こえて来たが、広間で彼女の笑い声を聞いた時のような不快感はもう沸いてこない。そう思って、ふと思い出す。
「……まだ誰にも誘われていないと言ったな」
「うん?何が?」
「…………」
首を傾げた彼女をちらりと見る。
自分より頭ひとつ分小さい彼女は、やはり2つも年上には到底見えない。
「、」
初めて、そう呼んだ。初めて口にした言葉なのに、何の違和感もなく、自分の口から彼女の名前が出てきた。
彼女もそれに気がついて、嬉しそうに頷く。
その姿が愛しいと、素直に思った。
…ドレスは母上に見立ててもらおう。彼女に似合う、明るい色を。
「……クリスマスパーティは僕について来い」
「うん」
君曰く、意外な結末
夢の中で出会った物語のような、そんなハッピーエンド
= = = = = end