その時の俺は、まだまだ小さくて周りの事もそして自分の事も見えていないガキだった。
だからこそ、あの出会いは衝撃的で今も忘れる事が出来ないでいる。





今から10年前くらいの事だった。
小さな俺は、山の奥に連れられて来た。なんでも虎狩りをするとかなんだとかで一緒に 行くか、と兄上に言われた時に迷わず頷いたのだった。 その頃はなにかと兄上についてまわっては色々な所に出掛けたものだ。
その時も兄上について行きたくて、どうにか追いつきたくての一緒の行動だったのだろうと思う。


しかしそこで、見事に、


「ま、・・・・迷った・・・!」

辺りはうっそうと茂る木ばかりで、伯符兄上の姿はどこにもない。
連れの供の姿も見えずに、虎が出ると言うこの山に1人でいる事はとてつもなく不安を増長させた。 こんな子供が虎に会ったりなどしたら、即胃袋行きに決まっている。


「どうすれば・・・いてっ!」


走り出せば木の根に足を取られて派手に転ぶ。 いつもなら駆け寄ってきてくれる人も、兄上もいない。
その事が悲しくて悲しくて、少しうるっとした目の端でなにやら動く影。
・・・まままま、ま、まさか、虎じゃないだろうな・・・!
焦りと不安で再びうるうるしてきた目をこすって勢いよく顔を上げた。



「・・・・・」
「・・・・・」



それは、人だった。それも、女。見慣れない格好をしている。しかもずぶぬれである。 来ている服はすべて濡れていて色が変わり、髪もしっとりとまた同様に濡れていた。 も、ももも、もしかして、ゆーれい!?
見上げた自分の顔とその女が近づけた顔が近い、近すぎる。
慌てて、顔をそむけるとその女は近づけた顔を元に戻して、口を開いた。



「・・・泣いてたの?」
「うっせーな!泣いてなんかいねぇっ」



その言葉に女は拍子抜けしたようで、肩の力を抜いてやれやれと言った様子で立ちつくした。
転んだ子供の前で助け起こしもせずに、ただ立っているだけだ。 手を貸す事もしないこの女は一体なんなんだろう、とまじまじと見つめてみる。 女は暇そうに足元の石をころころと蹴飛ばしていた。・・・・・不審だ。不審すぎる。
まさか最近流行りの、子供を攫って、売り飛ばすとかいう奴じゃないだろうな・・・!それにしては そこまで凶悪な顔つきではないけれど、油断は禁物だ。
不信感ありありの目線で様子を動かすと、それに気が付いた様で、視線を俺へ向けてくる。



「いきなり飛ばされたかと思えば、次は泣き虫の迷子のガキか・・・なんの冗談だか」
「なっ・・・泣き虫じゃないし、ガキなんかじゃ・・・!」



平凡な容姿に反して、口が非常に悪かった。
一応君主の子供として大切に育てられて来た仲謀にはガキと呼ばれた事もない。 もちろん、助け起こす事もせず、こうやって上から見下げられた事もない。 だって、いつだって相手がしゃがんでくれたから。
そういう事はこの女には毛頭するつもりはなさそうだった。 その目線の差が悔しくて、立ち上がる。



「ってか、お前なんなんだよ!」
「なんなんだ、って言われても。いきなりここに来たとしか・・・ってガキに何言っても意味ないかー」
「ガキガキってさっきから言いやがって!」
「ガキでしょ」
「違う!」
「あーはいはい。うるさいうるさい。ちょっと黙ってね」



ひらひらひらと交わされる。
極めつけに叫べば、ずいっと人差し指が顔面前まで迫って来た。ち、ち、ち、と 左右に振られて「そうやって挑発に乗るうちはまだまだガキだよ」と諭すように言われた。
悔しい。悔しすぎる! でもどうしようもない身長差がそれをどんどんと膨らませる。



「・・・んで、ここどこ」
「お前そんな事も知らねぇで来たのかよ!」
「そういう僕はどうして来たのかな?」
「ここへは虎狩りをしに来たんだ!」
「虎。虎ねぇ・・・虎って山にいるもの?」
「はぁ?何言ってんだよ、虎を狩って・・・っ、」
「なに?」
「そ、そうだ!ここは虎が出る!早く伯符兄上に会わなくちゃ・・・」




そうだ、虎が出るんだった。
変な奴会ったせいで少しの間、頭から抜けていたけれどここは危険な場所だった。 腕もなければ力もないこんな2人組みがいたならあっという間だ。



「こんな所にいたら虎が・・・!どうにかして兄上に、」
「ふーむ、虎。・・・それって本物の?」
「ほ、本物以外の虎ってなんだよ・・・!意味分かんねぇ!馬鹿か!」
「へー・・・それはやばそうだ」



顎に手をやって少し考え込むけれど、なにか考えている様には到底思えない女。
うーん、と唸っているものの、なにか考えが出てくるとは思えない。 ついつい苛立って、叫んでしまう。



「早く考えるか、山を下るかどうにかしろよ!馬鹿!」
「馬鹿馬鹿うるさいなぁ、それしか言えない訳?」
「な・・・っ!」
「言っとくけど、そんな事言われても痛くも痒くもない。うるさい」
「ばっ、なんだと!助言してやったんだよ」
「本当に可愛くないガキだなぁー。罵るんだったら徹底的に人の嫌な所を付かなきゃ効果ない」
「な、んで、そんな事お前に言われなきゃ・・・っ!」
「的確に罵る事が出来たなら、その人の言ってほしくない事を知ることができるしね。ほら、便利」



にこにこ笑う女は俺の頭を強い力で掴んだ。い、いってぇ・・・・!
にこにこしてるくせにぶちぶち言う所は公瑾にそっくりだ。 言っている事は全然違うけど!



「・・・君、偉いとこの子?」
「俺は文台の子、仲謀だ」
「へーぇ、仲謀。・・・なんかどっかで聞いた事あるような・・・仲謀。仲謀かぁ」
「な、なんだよ」



にこやかに頭を掴みながら、顔を近づけてくる女だったが、態度を改める気はないらしい。
ここまで簡単に触れてくる人も、俺を敬称も付けずに呼んだりするのも兄上くらいのものだ 。女はたじろぐ俺をものともせず、顔を目の前にまで近づける。



「君、もっと視野を広く持った方が良いよ。そんで・・・素直な良い子に育つと良いねぇ」
「はぁ?なんなんだよお前。さっきから訳分かんねぇ」
「今、ここで分かってるなら、そんな事言わないよ」



そこまで言うと女は言葉を切って、俺の頭から手をはずした。
そのぬくもりが離れていく事をちょっとさみしいと思ったとは、とても言えず俺は黙りこんで下を向いた。 だって頭を撫でてくれる人なんて限られている。兄上も時たま乱暴にかきまぜるように頭を撫でてはくれるけれど。
そんな事を考えてるとは露知らず、女はきょろきょろとあたりを見回したかと思うと、俺に向かってこう言った。



「お迎えだ・・・さっきから仲謀って呼んでる」
「は?」
「ここからまっすぐ南に道なりに向かえばきっと合流できる」
「なんで、そんな事分かんだよ・・・」
「ふふ、ひーみーつ。ほら、歩いてごらん」



ひらひらと手を振る女に振り返す事はせず、ときおり後ろを振り返っては彼女の姿を確認する。
最後の見えなくなる手前で、もう一度振り返ると、その時の彼女の姿は、一瞬 光が輝いたかと思えばあっという間に、影も形も残らず消えていた。


目を瞬かせて見たけれど、もうなにも見えない。残るはうっそうと茂る木のみだ。
首を傾げていると、前から伯符兄上の声が聞こえてきた。・・・あいつの言った事は正しかったのだ。 兄上に抱きあげられて、心配する声が周りから聞こえてきたけれど、俺の頭の中はあいつでいっぱいになっていた。
もしかしたら、あの女は迷子になった俺を導いてくれる天女か何かだったのかもしれない。

・・・口と態度はかなり悪かったけど、それでもあの言動は到底忘れられそうにない。













君の手中にて叫ぶ   03
                           (天女?・・・まさか、そんなはずないよな)