今日も今日とて、わたしは暇だった。
しかも皆が忙しそうな時に暇だった。
やることがないのである。というか、わたしにやることが与えられた事はないが。というかいつも暇だが。 仮にも神の立場なのに、ニートでいいのか。いや、よくない。でもやることない。


そんなわたしは庭をいつものようにボロボロの傘を差して散歩している。
途中で、隊士の何人かとすれ違うが「あ、雷様だぜ!」という声を筆頭に「怒ると雷が落ちてきて手が付けられないらしいぞ」 とか「でもそんな風には全然見えねぇなぁ」だとかなんだとかそういう会話が聞こえてくる。
そんな会話をしている隊士さん達と目が合うので一応、曖昧に笑っておく。 すると、大体びっくりした顔をして去っていくのだ。・・・なんだ、わたしが変な顔だってか、まだ珍獣扱いか。
不細工に無表情よりよほど良いと思ってやってるんだけど・・・ああ、斎藤さんの悪口を言った訳じゃないよ、今のは。 斎藤さんは無表情だけど顔は整っているからね、恐ろしいくらいに。うんうん。


「あれ、なんだろ、これ」


ぽてぽてと歩いていたわたしの前には見慣れない桶が置いてあった。
ここはわたしの散歩ルートなので、毎日歩くのだが今ここに置いてある桶が置いてある事は初めてだ。 なんだろ、これ。と独り言を言って、そっと近づく。洗濯の桶とか?覗きこんでみると、 どうやらその中は水で満たされていた。そして、その水の中に映える赤色の物体がゆらゆらと漂い、泳いでいた。 ・・・金魚だ。


「・・・かわいい」


ゆらりゆらり、としっぽを優雅に泳がせながら漂う金魚は可愛かった。
この時代でも金魚はいたんだなぁ、としゃがみこんで覗くと金魚が3、4匹。 傘の陰で桶には影が差す。傘の影が入ってない所の水に光が反射してキラキラと輝く。それが綺麗だったので傘を閉じたく なったが、そこでふと思い出す。
・・・今日も日差しが強い。気をつけなくては。 それも前回倒れてから、斎藤さんと原田さんの監視の目がちょっときつくなったから。 それはわたしを疑っているのではなく、心配してものだと分かったので、少し嬉しくもある。 あの、ビリビリしませんでしたか?と聞きたかったが怖くなったのでそれは止めておいた。 あの時ビリリときてたら、謝り方が分からない。斎藤さんの事だから、どうにか上手く運んだのだろうけど。

それからしばらく金魚の泳ぐ姿を堪能した後、さて散歩を開始するかと視線を戻した。
・・・表情が固まった。


「こんにちは、ちゃん」
「こ、ここ、こんにちは・・・お、沖田さ、ん・・・」


わたしの前に同じくしゃがみこんでいたのは沖田さんだった。
なななな、なーんで気がつかなかったんだろう、わたし!いくら金魚に夢中になっていたからといって、沖田さんに 気が付かないだなんて、相当の阿呆としか思えない。ていうか声くらい掛けてくれればいいのに、いちいちこの人は 心臓に悪いことばかりをする。
そんなわたしの心中を察したのかどうなのか知らないが、沖田さんはにこーっと笑う。


ちゃん、金魚好きなの?」
「へ?ええ、と。そうですね・・・嫌いではないです」
「この金魚ね、僕がもらったんだよ。とりあえずここに置きっぱなしにしてたら君が見ていたから」
「沖田さんのだったんですか。金魚って涼やかな気持ちになりますよね」


他愛ない会話を続けているように見えるが、正直わたしの背中は冷や汗だらだらだ。
前に日差しのせいで倒れた時とはまた違う汗が背中を伝う。この人と接すると無意識に緊張するのだ。 その読めない表情も言動も。
沖田さんの印象は、最初に斬りかかって来た時のまま、わたしの中で記録されている。ああ、悲しきマイメモリー。 臆病なせいで、どうもずっとその場面が繰り返されてしまうのだ。今は、刀は怖くない、わたしには雷があると 言い聞かせても。ぎゅっと傘の柄を握って沖田さんを見る。大丈夫、今は全然怖くない。大丈夫、わたしは大丈夫。


「そういえば、前に倒れたって聞いたよ。神様なのに暑い所が苦手だなんてね」
「どうも知らない内に、そういう体質になってしまったようで。厄介ですよね」
「今は大丈夫なの?結構日差しが強いけど」
「大丈夫です、平気です」


きっぱりと言うと沖田さんは猫のような目をきゅっと細くして笑った。
そっか、と言う声が思いのほか優しくて少しびっくりする。 もしかして沖田さんもわたしの体調の事を気にして来てくれたのだろうか。


「でもさっきのちゃんの驚いた顔、面白かったなぁ」
「わ、忘れてください!声くらい掛けてくれれば良かったじゃないですか!」
「あはは、それじゃあつまらないよ、僕が」


・・・前言撤回。
そうだった、この人にそんな事は期待してはいけない。さすが、とでも言っておいた方がいいかもしれない。 沖田さんは、あれか。面白いか面白くないか、自分とその他、それで人生を生きてる人か?
笑顔を崩さない沖田さんを見ているのも、つまらないのでわたしはそっと金魚のいる桶に指を浸した。 少しはこの気分が晴れるかと思ったのだ。ぴちゃぴちゃと指先で跳ねる水が心を落ち着かせる。 桶に波紋が広がっていく。
それを見て沖田さんは静かな声でわたしに語りかける。


「ほんと、君の言う通り涼やかなもんだよね」
「そうですね、やっぱり日本の心っていう、」


か、とまで言葉が続かなかった。
さっきまで優雅に泳いでいた金魚がゆらり、と身体を傾かせた後、1匹、2匹と水面まで浮いて来たのだ。 え?と思う前に、ひとつの結論にたどり着いて、いきおいよく指を抜く。水の音だけがわたしの耳へと届く。


「・・・!」
「・・・な、」


すっかり気を抜いて忘れてた・・・!わたしの身体からは今、電気が流れているのだ。
だからこそわたしは必要以上に人間に近づかない様にしていた。でも注意するべきは人間だけじゃなかったのだ、 それは生きているものすべてに言える事だった。
特に人間でもビリっとくるくらいだ。人間よりも小さきものに電流を流せばどういった事になるか、分かっていたのに! しかもこれは電気を通しやすい水だ。感電するのも無理はない。
・・・さっきまで、生きていたのに。わたしの不用心さがこの小さな金魚たちの命を奪った。

蒼白な顔で顔をあげると、さっきまで笑っていた沖田さんはどこにもいなかった。
わたしの前にいたのは、真剣な顔をした沖田さんだけ。


「これは・・・、」
「迂闊でした・・・!わたし、触ってしまった、駄目だって分かってたのに!」


思わず叫んでしまった口をつぐむと、どうにかしなきゃ、と考える。
今の金魚たちは心停止状態だ。それを元の通り蘇生させるには・・・!考えろ、考えろ。 一秒、一秒が刻々と過ぎていくことがすごく苦しい。
心臓マッサージとか出来ればいいのだけれど、相手は金魚だ。そんな小さなものにマッサージは出来ない。 頭の動きが活発になっているのが分かる。ぐるぐる働きすぎて、ショートしてしまいそうだ。 でもそんな事をしている場合じゃない、どうすれば、どうすれば。どうすれば助けられるの?

その時わたしの震える手を握ったのは、他の誰でもない、沖田さんだった。
大きな手に包まれて、弾かれる様に顔を上げたわたしの目と目を合わせて、彼は口を開く。


ちゃん。落ち付いて。ゆっくり深呼吸。落ち付けば何かいい案が出るかもしれない」
「お、沖田、さん・・・。・・・・は、」


息を一回ゆっくりと吐き出す。息が口からもれていく。
ゆっくり、ゆっくり深呼吸をする。握られている手に沖田さんの脈を感じる。 わたしの手を握っている事で、彼にも電流が感じられているのは違いないのにちっともそんな素振りは見せない。
わたしの肩が2、3度上下するのを確認してから、沖田さんは桶の中へ視線を移す。 電気で心停止・・・それを助けるには・・・心停止・・・心停止には・・・。


「そうだ、電気!」
ちゃん、何を・・・!」


何ができるかは分からない。
わたしの浅い知識で何ができるかはまったくもって未知数だが、やらないよりずっとマシだ。 沖田さんの手を抜けて、再び自分の手を水の中へ手を戻す。そして指をくくっと動かす。水の波紋が広がっていく。 上から沖田さんの息遣いとわたしの息遣いしか聞こえないくらいに、静かな時が流れた。
動け・・・動け・・・・!念じるように浮かんだままの金魚たちを見る。 ぷかり、と浮かんだままの金魚たちは驚くほど不気味だった。・・・怖かった。

祈るような気持ちで金魚を見続けたものの、金魚はぴくりとも動かない。
沖田さんがためらいがちにわたしの名前を呼ぶ。・・・答えられるはずがない。
決して諦めたくないのに、諦めなくちゃいけないの?と思ったその時、だ。
ぴくり、と金魚の尾が動いた。そして、1匹、2匹、と動き出す。


「生き・・・返った・・・?本当に?」
「・・・・ちゃん」
「・・・良かった、」


その後の言葉はもう口からは出てはこなくて。
ただただ涙が流れて、それを抑えようとするので、もう精一杯だった。 馬鹿みたいに安心して、馬鹿みたいに涙が出て、止まらなくてどうしようもなかった。 それを沖田さんは困ったような顔をして見ていたけど、多分「面倒な子だな」とかまぁ、そんな事を思ったに 違いない。泣いているうちに、もうなんだかよく分からない気分になったけれど、沖田さんは決してわたしを 置いて去りはしなかった。
普段は冷たいのに、どうしてこんな時ばかり、ああ、ずるい人だ、とわたしは漠然と思ったのだ。








君のやさしさが

   僕の喉を詰まらせる





back