羅刹、その言葉を聞いた覚えはない。だが言葉は知らないがどんな状態なものかは知っていた。
夜に廊下でぽつりと座っていたら、なにか白いものが現れ去っていったのだ。 最初はそれがなにか分からなかったが、徐々に理解していった。白髪が意味するそれは、これは危険である、と言うことを。 自身の頭がそう告げるのだ、これは駄目、近づいてはいけないよ、危ないからーー。だがこれは新選組がやっている事だ。 という事は幹部は知っているはず。知っていて黙認していると言うことだろうか。…よく分からない。
あれを放置する事が果たして彼らにとって良い事なのか。色々な事が頭を巡った。詳しい事が分からないし、何よ りここの住人とは言えないわたしが口出しして良いのか、それも分からない。 だからあえて知らないふりを通していた。

夜中に騒がしくなる時は大体が羅刹がらみだ。朝にはそんな騒ぎなどなかったかの様に皆は振る舞っているので、これは 重要機密に違いないと思いながらも知らないふりをしていた。きっと奴らは夜行性なのだろう。布団の中で眠っていても、その気配で分かってしまう。なにか 危険なものと向き合うと心臓の音がどくどくと言い、危険を知らせるかのように音を立てるから。
月明かりに照らし出されるその血濡れた姿を見るたびに、彼らは一体どこに行こうとしているのか、と。血に狂 い、血に飢える彼等はなんなのだろうかと思う。


少しづつ冷え込む夜だった。がさがさ音がしていたのに気が付いたわたしは目を開けた。障子に映し出されたその影は、 ためらいもなく大きなひとふりで障子を切り払った。大きな音がして寝ている訳にもいかなくなったわたしはばっと起き 上がった。そこには白い髪を伴った奴がいた。
ついに、とも思って一応向かい合う。睨み合う数秒が続いた後、飛び掛かってきた。反射的にビリっと髪が浮く。 そして確実に気絶するくらいの電撃を浴びせた。呻いて倒れる彼に、一言詫びてから、廊下へ出ると珍しく焦った顔をした 斎藤さんが駆け寄って来た。


「無事か…良かった」
「ええ。安眠は邪魔されちゃったんですけどね」
「それは、すまなかった。だが、」


彼の目線がわたしの部屋へと移される。羅刹になった彼が倒れているのを確認して、斎藤さんは言葉を紡ぐ。

「総司が・・・屯所から出てしまった羅刹の対処に行っている」
「沖田さんが?えーっと羅刹、ってあの人みたいな感じの人ですよね」
「そうだ。奴らは血に狂ってしまった者ばかりだ。危害を加える可能性がある」

外に出てしまった羅刹を追って、沖田さんは出ていってしまったらしい。 そしてさらに斎藤さんは言いにくそうに言葉を重ねる。どうやら人手が足りないらしい。 しかも羅刹がこの様に暴れて出て行ってしまうのは初めての事だと零した。どうか、総司を手伝ってやってくれないか、と 低く響く声で言われてしまってはもう、頷くしかない。
それにいつかわたしがこの力を使う事は分かっていたはずだ。それが早いか遅いかだけの話。

「分かりました。わたしでお役に立てるのなら」





屯所の外へと出れば、タイミングを計ったかの様にぱらつく雨。
それは心地よく身体をぬらす。 沖田さんの気配を辿って歩みを速める。彼のいる場所はすぐに分かる。・・・不思議な事に。 そして白い髪をもつ羅刹と対峙している沖田さんを見つけた。・・・対峙しているのは羅刹、じゃない。 そこにいたのは小さな、小さな子供だった。でも異様な雰囲気を持つ、子供。

ちゃん・・・どうして、」
「斎藤さんに聞きました!微力ながらお手伝いします」
「ここは危ない、下がってて!巻き込まれて死にたくなければね・・・!」
「・・・それはしなくていい心配です」


わたしたちの会話を聞いて、子供は小さく笑みを漏らした。
ぞくり、と背筋が凍りそうになる。殺気とも違ったそれは一体なに?


「かみなり・・・。釣られて出てくると思った・・・待ってたよ」
「「・・・!」」


呟かれた言葉から、わたしの事を言っていると分かる。
でもわたしは知らない。彼がなんなのか。爛々と光る金の瞳も白い髪もただただ畏怖の念を起させるだけだ。 今までも怖かった事はたくさんあったけれど、この気配は知らない。初めて知るものだ。
そう思い、突っ立ったままでいると横で風が抜けた。走りだす背中を見せるのは沖田さんだ。


「・・・っ!」
「おっと、急ぎ過ぎるのは良くないよ。新選組1番隊組長、沖田総司」
「僕の事、なんで知ってるのかな?僕はあいにく君の事を良く知らないけど」
「ぼくは、・・・氷雨。それに君の事を知らない人はいないと思うよ」
「ひさめ・・・か。僕は君の事を聞いた事ないな。君が言うほど大した事ないんじゃないの?」


ぎん、っと刃が重なり合う。ぎちぎちと力を合わせているのに、氷雨は片手に持った小さな刀でなんなく沖田さんの刀を受け止めている。 それはまるで子供に対する様に軽々とした動作で。 この人、普通じゃない。会話も飄々としている事ながら、正体が掴めない。

沖田さんが刀をかざして鬼と戦う姿は、美しかった。彼が刀を持つ時はいつだって新選組の 為で、その姿はやっぱり美しいものだったけど。
それでも彼はここで死なせてはいけない、と強く思ったのもまた事実である。この世界に漠然としたままで存在 しているあやふやなわたしよりは、新選組や近藤さんや皆さんに必要とされてい る沖田さんがここには必要だ。自分を卑下している訳じゃない。ただ、このこと は事実だ。氷雨は依然として彼を狙っている。

対峙した彼の目は酷く冷たい。どこからか来るこの余裕めいたものも不気味にしか感じられない。 嫌な予感がひしひしとする。沖田さんと対峙しているのにも関わらず、その後ろにいるわたしに向かって 言葉を軽く投げ掛ける。


「どうしようもない、まがいものを作り続ける新選組、沖田総司。ぼくに勝てるかな?」
「くそ・・・!」
「沖田、さん・・・!」
「あはは、どれくらい持つのかな。人間は脆いからつまらない。雷、君はどうかなぁ?」
「わたし・・わたしは、」
「…っ、僕の事はいい。だからこの子には手を出さないで!」
「…っは、はは、あはははは!!!」
「なにが可笑しい!」
「君はもしかして、ぼくが君を倒しに来たとでも思ってる?」
「違うのか…っ!?じゃあなんで、」
「それは…君の後ろにいる雷に聞いたら早いんじゃないかな!」
「…っ!」
「まさか、「とろとろしてる暇はないよ。…それ!」
「…くっ、」


素早く跳躍したかと思うと、氷雨はわたしの目の前までに迫っていた。 心の中で響く声、わたしはやれるのだろうか、否、今やらなければ後悔する。心に響く声に頷いた。
その一瞬で、すと表情を変え、素早く後ろへ跳んで距離を取る。だが氷雨はそれを面白そうに眺めて、一層笑みを濃くする。 でもその目は変わらず酷く冷たい。


「ぼくは鬼だ。人間みたいに弱くもない、そしておまえは神」
「わたし、は…!」
「くそ…!ちゃん」
「お前を倒し、全て終わりにするさ」
「そんな事・・・・させません!わたしは死にたくありませんから」
「わぁ、凄いな、それが神の力ってやつ?」
「…さぁ?限界までやったことはないので分かりません」


雨の日は調子が良い。だから調子が良いだけの威力を誇る、しかし溢れるばかりの雷を身に纏っても彼の余裕は消えない。 いつだって雷撃を落とす事が出来るのに。
ふぅん、と楽しげに笑う氷雨はまだまだ何かを隠しているように見えた。
死ぬ事が怖くないのか、自分の方が勝っていると思っているのか。真意は計りかねる。けれど、

奥歯を噛み締める。あいにくの雨、雨。いつもはこの身体が万全の状態になりわたしはかなりの雷を落とす事が 出来るのだが、今になって、この肝心な時に限ってそれが使えない事に気が付く。 だから牽制くらいは出来るけれど攻撃する事は出来ない。はったりもいいところだ。
雨は雷撃を伝える。そんな事になったら、きっとわたしの操る雷撃は容赦なく沖田さんに降り注ぐだろう。 雷切のダメージを受けるその前に完全に雷撃でお陀仏だ。そんな事ありえない。 ・・・前に金魚が雷撃を受けて横たわる姿が頭に浮かんだ。重なるその姿が何故か沖田さんで、・・・・。
無理だ、わたしは雷を放てない。

神はどこまでも孤独だ。だけれど孤独だからこそできる事がある。その為に強大な力を持つ。
でもそれは2人で立ち向かう時には使えない力だ。肝心な時にいつも役立たずな自分が酷く情けない。
信じてるものなんて、なにもない。ただわたしは流されるままに生きているだけなのだ。

ぎりり、と歯を食いしばる音が隣で聞こえる。沖田さんだ。刀に手をやりながらも、やはり鬼相手はきついのか息が荒い。 それに彼は沖田さんを執拗に狙うので、わたしも援護に入る形になる。しかし雨が降って地面が濡れている。 雷撃を放つ事はできない。必然的に攻撃を避け続ける事しか出来なくなる。わたしはまだいいが、沖田さんが心配だ。

でもこのままじゃ、勝つ事はできない。それどころか分が悪いのは明らかにこちらだ。向こうの力は未知数だ。 なにかを持っているのは間違いない。そう確信した時だ、目の前の氷雨が手をふいに傾けた。
無邪気にも取れるその声と共に、そこに、現れたの、は。


「ぼくがなにも準備しなくて来ると思う?・・・これ」


びぃいんと嫌な音がした、そうそれは今なら分かる。・・・雷の叫び。


「・・・・それ、は。」
ちゃん・・・?!」
「そうこれは雷切。雷を斬ったとされる唯一の剣だよ。雷神、、君には分かるみたいだね、こいつの叫びが」
「・・・・!」
「この剣で君を刺せば、その瞬間にその忌まわしい力から解放されるっていう仕組みさ」
「・・・それで。わざわざ親切に刺しにきてくれたって事?」
「君がいると、この世界の歯車が狂うんだ。だからぼくは、君をやらなきゃ」
「黙って殺されたいなんて思う?・・・・でも、やらなきゃいけないみたい」
「よくお分かりのようだね。では世界の為に死んでもらうよ」







彼女の行動を縛っているのは僕だ。
僕が、まさか僕が守るほうから守られる側に回るだなんて。そしてそれは酷く辛いことだ。 彼女に守られている自分も、ふがいない自分も、弱い自分も、全てに。舌打ちしたくなった。刀を持つ手に力を入れる。 けれど神速と呼ばれた僕も鬼の前ではなすすべもなく、胸や腹を打たれて地面に転がる。
それでも氷雨を睨む事は止めない。なんで彼女が死ななくてはいけないのか?僕には意味が分からない。 彼女は何もしていない、むしろしてしまう事を恐れて、触れる事すらためらう優しい子なのに、なんで。


「おき・・・た、さん!!」
「僕はいいから・・・!」
「でも・・・だって・・・諦めるなと言ったのは!・・・誰ですか!」
「・・・っ!」
「手を握る事を諦めたわたしにまたあの温もりを与えたのは誰ですか!」
「それは・・・、だけど・・・それじゃ君が!」
「いいんです、なんかわたし、今この時の為に来たんじゃないかって思うから」
「やめ・・・!」
「わたしはどうやら、沖田さんに生きてほしいみたいです。自分で思っているよりもずっと、」


初めて見せたといっても過言ではない、優しい微笑み。でも有無を言わせない笑み。
そう言って飛び出していった彼女を止める事の出来る人間なんていやしない。




唸る雷切をそのまま彼女に突き立てようとする氷雨。それを防ぐように同時に張り裂けそうなくらいの雷鳴が轟いた。
光る閃光に目が眩んだ一瞬。目の前に迫る氷雨と雷切の刃先。避けようもない死を予感した。 僕は死ぬのか、このまま何も出来ずに。目を瞑る事も許されないほどの速度で近づく刃に、覚悟を決め同じく刀を 構えた。
その時首ねっこを後ろに引っ張る感覚がして、そのまま後ろに吹っ飛ばされる。容赦ないその力はきっと彼女のもの。
転がる身体を、はっと起こすともう決着はついていた。彼女の腹部に雷切が深く突き刺さっていた。 崩れ落ちる彼女を見て氷雨は薄く笑う。


「これは…もういらないな」


彼の手から雷切が滑り落ちる。からんとなんとも軽い音が響き渡る。こんな軽いもので、簡単なもので、彼女は。 そう思うとたまらなくなった。でももう自分には彼女に駆け寄る力すらない。地面に這いつくばって、彼女から 離れた所で、声を張り上げるだけだ。・・・なんて無力なんだろうか。


「お前…!」
「ふぅん、お前。雷が救った命、捨てる気?本当に死ぬよ」
「…!」
「ぼくはそれでも構わないさ。お望み通り、雷と同じ様にこの刀でやってやっても良い」
「っ、…!」
「だが、それを良しとするほど雷は甘くなかった…みたい…だね…はは。さすがに神相手はきついかな」


力無く笑うと氷雨は崩れ落ちて、溶けるように消えてなくなった。呆気なさすぎてついつい力が抜ける。
なんて化け物なんだ、と息を吐く。

そうして雨が降り続ける中で、いるのは地面に這いつくばる僕とぴくりともしない彼女。 全身の力を振り絞ってちゃんへと近づき、その身体を抱き起こす。 少し・・・温かい。まだ、大丈夫なんじゃないか、と思ってしまうほどに。

でもそれは一瞬の事で、同時に腕の中の温かいぬくもりが少しづつ、ゆっくりとだがなくなっている事に気が付く。
下を向けば、笑う彼女。舌打ちしたくなった。こんな時に涙ひとつ零さないなんて。そしてもともと表情がくるくると よく変わる方ではなかったけど貴重な笑顔をここで見る事になるとは。
そしてもうひとつ。彼女は消えつつあった。じわじわと色彩が消えていくのが分かる。 必死になって引き止めようとして…でもそんな足掻きを嘲笑うかの様にいとも簡単に彼女を連れて行ってしまう。 最後に聞き取れたのはほんの少しの小さな彼女の声。淡い彼女はゆるゆると滅多に見せない本当の微笑みを見せながら言った。


「…沖田さん、」
ちゃん・・・!」
「…やく、そく…ごめんな、さい。・・・わ、たし、」
「…っ!ちゃん!!」


淡い淡い彼女は土砂降りの雨の闇に消えた。
かすかな月明かりだけが僕を照らして、さらに余計な孤独感を煽っている様だ。

やがて僕は屯所への道のりをずるずると歩きはじめた。
…彼女がこんなにも自分の中で大きなものになっていたなんて。間抜けなのは誰よりも、僕だ。









叫んで届くというのなら

      どれだけでも





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