、ちゃん・・・?な、訳ないか」


後ろに立った気配に気がついて声を思わず名前を呼び掛け振り返る。
そこに現れたのは彼女ではなかった。もちろん、そんな事は分かっているのだ。 それに気が付いてため息を吐く、そんな自分を困った様に見つめるのは左之さんだ。

どこかに、まだ、どこかにいるんじゃないかと思ってしまう自分がいて。 ・・・いいや、もうどこを探しても彼女はいない。いつだったか、穴に落ちて出られなくなった彼女を探したこの場所には もう彼女の存在はないのだから。 重症だなぁ、と自分に呆れてため息が零れる。馬鹿馬鹿しいのにも程がある。いない人間の名を呼んでどうする。
しかしその名前に随分と癒されていた事に気がついたのは、つい先日の事である。


だけど、それに気がついた今、彼女はもういない。
あの時にほほ笑んだ彼女が幻のように思えて、本当に彼女はこの場にいたのかどうかさえ、怪しくなる。 どんどん忘れていく声、記憶。ぬくもりも数限りないくらいにしか感じた事はない。





あの雷の力を無くした彼女の身体を抱きしめて思った事は、本当に小さい、という単純な事だった。これが雷神と言われた 彼女なのか。 自分の身体で覆ってしまえるほど、この身体はそんなに小さかっただろうかと考えたのだ。
抱きすくめたその身体に涙が落とされてももうなんの反応も返らず、あれだけビリビリしていた身体は、雷切に全ての 力を吸い取られてしまったようだった。刺されたと思われる個所も、刺された跡など何もなく。
自分が茫然としている間に、 彼女の身体は霞のように消えてしまったのだ。確かに自分の腕の中にいたというのに。さっきまでいたのに。

やるせない想いを抱えて、鉛のように重い両足を引きずるように、かろうじて自分の刀を手にもって 屯所へと帰れば口ぐちと聞かれる彼女の安否。いらいらいらいらいら・・・一番苛立っているのは自分だ。 苛立ちが頭からつま先まで全てを覆って、もうなにも答えたくない、答えたくないのに。

だれか嘘だって言って、彼女はここにいて、今も僕らの帰りをあの屯所の隅の部屋で待っているんだって。
でもそうではない事を自分は知っている。それを口にして次々と彼らの愕然とした顔を見るのは僕だ。 それよりなにより、自分の不甲斐なさに腹が立って仕方がない。力?力があればあの時どうにかなったのか? もっともっともっと、と求めてももう彼女は戻ってはこないのだ。以前聞いた彼女の言葉がよみがえる。

「逆に力があってもなんにも変らないんです、多分」
その通りだと分かるのが、いなくなってからだなんて。


「・・・・唐突過ぎて、俺たちも理解していない事ばかりだ。俺たちはあいつの、なにを見ていたんだろうな」
「・・・左之さん。あの子は、優しかったよ。上っ面だけの笑顔でも確かに、彼女は優しかったんだ」




一度も傷ついた顔を見ていないからって、傷ついていないとは限らない。
彼女がなにを思ってこの世界に留まっていたのかを知るすべは、もうすでに断たれた。 なにを考えているか分からないような彼女が神としてふさわしい人物だったのか、それも分からない事だ。 それでも、そんな彼女でも、感情はあった。小さいけれど感情の波が震える時があった。

・・・今彼女は、自分の知らない所で一人泣いているのかもしれない。 それを考えると決まって胸の奥の隅の方が、もやもやとした気持ちになるのだ。 今まではそんな気持ちになった事はなかった。自分にとっては刀を奮う事が何より大切で。 それ以外は大切ではないことに分類されていたからだ。でもそれがどうだろう。あれよあれよという間に彼女に取り込まれた。

彼女は違うと言っていたがやはり神さまなんじゃないかと思ってしまう。特別な魔術でも使わなくては、そう でなきゃなんでこんなに、と思ってしまうくらいのこの想いに戸惑ってしまうからだ。
あの時に無理やり交わした約束だけが彼女との唯一の繋がりで、関わりあえる最後の手段。
最初は斬ってしまおうかと思うくらいだったのに。今はいっそ迎えに行ってしまおうかとそればかりが頭を巡る。 どこに迎えに行けば良いのかも分からないのに。最後に見せた彼女の拙い言葉と笑顔が忘れられないのだ。



「あの子、は・・・!帰ってくるって言った!僕に、絶対に帰ってくるって言った・・・!」
「落ち付け、総司!あいつは帰ったんだよ。自分の世界に、だから・・・、」
「僕は、僕はそんなの認めない!認めたくないんだ・・・!だってそれを認めたら、あの子はもう、」
「・・・・・総司」
「帰ってくる、絶対、僕の所に。そう、約束したんだ」






こぼれ落ちたものに泣いた




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